再度善光寺へ | アントニオ小猪木 オフィシャルブログ powered by Ameba

再度善光寺へ

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長野・信州善光寺にて。


善光寺仲見世通りの市川つけもの店で善光寺のいい話をたくさん聞かせてもらって再度、善光寺にやってきた。



ただ闇雲にお参りするのと意味をわかってのお参りするのとワケが全然違う!



まずは善光寺を守っているびんずるそんじゃという神様にお参りし、触れてきた!


びんずるそんじゃの像に触れると触れた部分がよくなるらしい。


自分のこと、家族のこと、ネコのことを念じてお祈りしてきた!


思えば、31年前の修学旅行で奈良の東大寺のびんずるそんじゃの像があったのを思い出した!あの時は「おかしな名前だなあ」と思ったが、強いインパクトを残してくれた。それが31年前の遠い記憶がまた繋がった瞬間でもあった!




それから先ほどのお参りでは全く興味なかったお戒壇巡り。



このお戒壇巡りをすると何かの悟りを感じるという。


数年前と今の自分にも何かを感じることができるかを試したかった。



Kいちと二人で入り、まずは小猪木が先頭を切った。自然と暗い中に入っていけた。


なぜか小猪木と入り口付近で逆戻りしてきた大柄な男性とすれ違ったのだけど、その時は入り口と出口が一緒なのかと思ったが、この通路はそんなはずもなく、後でわかったのは彼は暗さに戻ってきたらしい。



歩いていると光は段々と無くなってきたが、どんどん進んでいく自分がいた。



真っ暗になると手で壁を触りながら歩き、触覚で進んで行った。左利きだから左手で横の壁を、右手で前にぶつからないように手探りしながら進んだ。



正直、これどこまで進むんだろう、いつ終わるんだろうという不安もあり、灯りを点けたくなったが、己を信じてやめた。というか入り口にライターや携帯電話で灯りを照らすのは禁止されていたようだ。やらなくてよかった。頼りたくなかった。



自分も不安の中、後ろから来ているKいちは来ているのだろうか。



Kいちの怖がる声も聞こえてきて安心した。



Kいちは自分の震える声の中、このお戒壇巡りの中の神様の鍵を見付けたらしい。



そういえば、小猪木は出口を目指して歩いてしまい、神様の鍵を触れるのを忘れてしまっていた!



過ぎていたのでKいちの声をするところに戻り、鍵に触れることができた。



どうぞ御加護が有りますように!



思えば、左手で壁を伝って歩いてしまったから鍵を見付けることができなかった。Kいちは右利きだから右手側にある鍵を見付けることができた!



これも後で知ったが、入り口に右手側の壁を伝って歩くようにと書いてあった。



まあ小猪木は怖がるKいちのおかげで鍵を見付けることができたし、Kいちは小猪木がいなかったら前に進むことができなかったらしい。



なので二人で歩いたから鍵を見付けることができたし、出口も出ることができたと思う。



人生は人がいるから運命に導かれ、影響を受けたりする。



だから人に助けられて鍵を触ることができたわけだ。Kいちには感謝だ!




出口が見えてくると光が入ってきていた。どれだけ光に安心したことか。


出口から出ると大きな鏡があった。何やらお戒壇巡りに入る前の顔と出てからの顔と比べるために鏡があるらしい。



我々は無の心の顔になれてたかな?



お戒壇巡りを終えたKいちの背筋はスーッと伸びていて姿勢がよかった。顔付きもよかった!


小猪木も真っ暗のお戒壇巡りから出てきた興奮と寺の静けさと静と動の心が両方あり、バランスの取れた心がここにあった。



人生はバランスってよく言う。



そのバランスが心でも取れて心地よく感じた。




思えば、26年前にある台本に書いてあった「勘弁しなのの善光寺」というセリフで善光寺を知り、31年前の修学旅行でのびんずるそんじゃの思い出がまた繋がった瞬間でもあった!



よく観光地をパワースポットとよく言うけれど、ここまでパワーをもらったのは初めてかも!



心と体のバランスがいい!