将軍KYワカマツトークショー司会!
東京・新宿キラーカンの店歌謡居酒屋カンちゃんにて『スーパー・レジェンド・シリーズ第4弾将軍KYワカマツ』の司会を務めた。
いわゆるプロレスラーの将軍KYワカマツさんのトークショーだ!
北海道芦別市から東京にトークショーを開催にしやってきてくれた!
将軍KYワカマツといえば、やはりストロング・マシーン軍団やアンドレ・ザ・ジャイアントのマネージャーを務めたりしていたりしてカルガリーやSWSなどにいたという経歴があるのだが、小猪木の今回のトークのテーマは国際プロレス時代と新日本プロレス時代の昭和時代の思い出を語ってもらった。
小猪木がまず聞いたのは何故、国際プロレスに入門したのか。ワカマツさんは1972年に国際プロレスに入門。老舗の日本プロレスがあり、そして新日本プロレスと全日本プロレスの生まれた年なのだが、もしかしたらこの頃、ジャイアント馬場とアントニオ猪木の両エースが退団した老舗の日本プロレスより、まだ足並みの揃っていないアントニオ猪木の新日本プロレスより、この年の秋口に旗揚げしたジャイアント馬場の全日本プロレスより、どこよりも安定していたのは国際プロレスだったのかもしれない。
「国際プロレスの方が自分に合ってるのではないか」と判断されたワカマツさんは国際プロレスを選んだ。
そこから国際プロレスを愛し、吉原功社長や仲間たちと信頼を築き上げたものの、崩壊してバラバラになってしまう(もちろんここまでのエピソードも沢山沢山聞いた)。
そして1981年国際プロレスは新日本プロレス移籍組(ラッシャー木村、アニマル浜口など)と全日本プロレス移籍組(マイティ井上、阿修羅・原など)と分裂してしまった時にワカマツさんは新日本プロレスのアントニオ猪木対ラッシャー木村の初対決の時にサブレフェリーとしてリングに上がっている姿がテレビに映っていた記憶がある。
ここでも運命の岐路があって、何故新日本プロレス側に移ったのか。ここも大きな気になるところがあった。
ここまでの経緯には吉原功元国際プロレス社長は崩壊後に新日本プロレス顧問になっており、ここでの信頼関係でも吉原功さんの縁で新日本プロレスに流れてきたらしい。ワカマツさんは吉原功さんとの強い信頼を感じた。
そしてその後、カルガリーに渡り(ここでも色んなトークがあって)、プロレスラーやマネージャーとしても活躍。ストロング・マシーン軍団のマネージャーとして日本に帰ってきていた。
マシーン軍のマネージャーの話も色々あり、小猪木の印象はマシーン軍のマネージャー時代よりもアンドレ・ザ・ジャイアントのマネージャー時代の方が思い出が沢山あられたかなと感じたのだが、ここからアンドレ・ザ・ジャイアントとの思い出話になっていった。
