日付けは変わってしまいましたが、
1月22日・午前中にお袋が永眠しました。
亡くなる前に連日お見舞いに行ってたので、今日か明日かという状態は感じていました。
特に亡くなる前日、息子を連れての見舞いの時は、酸素マスクをしていながらも苦しそうでしたので。
昨日はヘルパーさんとも話が出来て、お袋とお仕事の話をしたなんて思い出話を聞かせてくれましてね。本当に嬉しかったです。
病院から危篤という連絡は来ましたが、私は看とりたいと思いませんでした。それは面倒臭いとかでは無く、寝たきりのお袋を自分が面倒見るのでは無く、療養施設に預けていましたし、普段はナースやヘルパーさんと接していたわけで。
特に前日のヘルパーさんのお話しで、最後まで見届けると言ってくれたからかもしれません。
何というか、任せっきりだった自分ではなく、最後は仲間意識まで持っていた方々に見守られてってのが正しい気がしたんですよね。
とは言え、葬儀屋さんに搬送される見送りはしたいと思って向かっていましたが。
兄は間に合ったようで、でもまだ実感がわいてないようでした。
コロナ禍って事もあり直葬にしました。
でも、火葬場が混み合っていて1週間後が最短です。安置されている所へ明日行こうと思います。
12月6日と20日の見舞いではお喋りをし、録音までしていたので、今日は最後の録音会話を聞いていました。
『私の顔を見れてホッとしたよ』と何回も言っていて、『また来てね』って言葉が沁みました。
今年に入って電話が入った時の会話が最後の会話となったんですが、亡くなる直前の数日間の容態が嘘のようです。
そう、昨日一昨日に手や足をマッサージしたんですが、3,4年くらい前の浮腫んだ足の様な状態だったので、眠っていながらもキツかったと思います。
療養施設での約2年間が一番体調が良かったと思います。
そして寝たきりでは有りましたが、ヘルパーさんやナースに仕事のウンチクを言えたのも楽しかったのではないかなぁ。
本当に感謝です。
そして、お袋にも色んな事を教わり感謝です。
『お母さん、ありがとう。』