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不思議と自分から情報を発信すると、その分自分のもとへ何ら
かのリターンが返ってくる。ジョギングを始めれば、マラソン大
会の情報が入ってくるし、テニスやサッカーにも参加しないかと
いうお誘いもくるようになる。授業で、
「日本ではこういう事象があります」
と、勇気を出して発表すると、
「アメリカではそれと正反対のことが起きている」
などと、ディスカッションの話題が広がっていく。


だが、日本人は例えば
「今日の映画どうだった?」
と、聞かれたときに
「まぁまぁ」
と、答えることが多い。和の要素を重んじる日本人は、「まぁま
ぁ」と切り出して、相手の出方を見る。相手がその作品をとても
気に入っていれば、自分もその作品の良かったと思うことを言う
し、相手が嫌いだと言えば、自分もその映画の良くない点を指摘
したりする。共通点を見出して、コミュニケーションを展開する
ことが多い文化だと一般に言われている。


だが、オージーに映画の感想を聞かれて、
「ソー・ソー」
と、答えてしまうと、そこで話は終わってしまう。こちらはそ
こから話を始めようとはしているのに、その言葉を口にした瞬間、
この人はこの映画に興味がないものとみなされ、話は打ち切りに
されてしまう。


チュートリアルでも、先生が、
「日本ではどうですか?」
と、話を振ってくれたときに、第一声に、
「アイ・ドント・ノー」
と、言ってしまいたくなることがある。


「良くはわからないのですが…」
という前置きで、自分の意見を話し始めるのは、日本ではよく
ある。また、言いたいことがあるのに、英語が出てこない時にも
つい、
「アイ・ドント・ノー」
と、言いたくなるのではないだろうか。


だが、「I don’t know」といってしまったら、そこで話は終わり。
やはり、自分の意見がないものとみなされてしまう。
オーストラリアに限らず、欧米圏では、共通性というよりも、
人とは違うところ、自分の意見というものがコミュニケーション
をするうえで、重要になってくる。


感想を聞かれたら、どんなに単純な言葉でもいいから第一声に
は、自分の意見を入れることが大事。
授業でも日本のことを聞かれたら、
「イン・ジャパン…」
と、とにかく文章を始めてしまうこと。自分は日本について話
す意志があるのだ、ということをまず伝えなければならない。


意志さえ見せれば、相手はネイティブではないことは承知なの
だから、いくらでも待ってくれるし、
「こういうことが言いたいの?」
などと、フォローもしてくれる。とにかく第一声には、あいま
いな言葉ではなく、意思表示を持ってくることが大事だというこ
とを身をもって学んだ。