先生





留学前に会った先輩留学生も話していたが、実際のチュートリ
アルの議論についていくのは、簡単ではない。


まずクラスメイトが話し合っていることを頭の中で日本語にして、

それから自分が言いたいことを英語に訳しているうちに、議題が

次へ移ってしまうことが多い。先輩は、
「ディスカッションが始まる前に、真っ先に自分の意見を言って
しまうといい」
と、教えてくれたが、なかなか自分から発言するタイミングが
掴めない。


そこで私はどうしたかというと、その週のリーディングでわから

なかったことをいくつかまとめておいて、誰かがその文献に関

する議論をしているときに、
「私もその文献を興味深いと思ったんだけど、ここのところで著
者がどういう意味でこう述べていたのかがわからない」
と、質問をする形をとった。


実際には、その前の議論と直接関係なくても、質問について

クラスメイトの誰かが答えてくれるので、一応話が進んで、

ディスカッションに参加することができる。


プレゼンテーションは、その週のチュートリアル・クエスチョ
ンの担当になった人がチュートリアルの冒頭で発表する。プレゼ
ンテーションでもやはり、エッセイのイントロダクション、ボデ
ィ、コンクルージョンの3部構成は、そのまま使える。


ただ、イントロダクションでは聴衆の興味をひきつけ、ボディ
ではわかりやすく情報を噛み砕いて伝え、コンクリュージョンは、
簡潔にメインポイントをまとめることが求められる。


聞いている人にわかりやすく伝えるには、接続詞がうまく使え
ると効果的。順序立てて話すには
「ファースト・オブ・オール」
「ナウ」
「ゼン」
などを用い、対比をするときには、
「ハウエバー」
「イン・コントラスト」
結論を述べるには、
「オバーオール」
「ゼアフォー」
などを駆使して、わかりやすく論理展開することが大事だ。


「テキストや文献の言葉をそのまま使うのではなく、自分の言葉
で言い換えるスキルがあるとなお良いでしょう」
と、チューターはエッセイとの違いも丁寧に教えてくれた。


プレゼンでは、チュートリアルでのクラス・ディスカッション
の口火を切る「議題を提起できる」ことが重要な要素の一つ。
私は1学期の民族学のプレゼンテーションの際に、クリスティ
ーン・ヘリウェル教授やチューターのロバータ先生のオフィスを
何度も訪れて、文献の解釈が正しいかどうかを確認してもらった。
だが、私には文献を読み込んでまとめるだけの余裕しかなかった。
用意したノートを読み上げ終わった瞬間に、クラスに広がった沈
黙はすごく辛かった。


後でわかったことだが、私のプレゼンには、クリティカル・シ
ンキングの要素が抜けていたのだ。本来なら、それぞれの文献が、
チュートリアル・クエスチョンで提起された問題に対してどのよ
うな立場で論じていて、どういう点に問題があるか、ほかの文献
に比べて著者のスタンスがどう際立っているのか、という分析を
する必要がある。私の見解や疑問を機に、クラスの議論が始まる
はずだったが、その要素がなかったので、クラスメイトも困って
しまった様子だった。


2学期にも、クリスティーン先生の民族学の授業を履修したが、
その際のプレゼンでは、前回の失敗を反省し、なるべく自分の言
葉で噛み砕いてノートを用意した。資料のサマリーよりも、文献
同士の比較や検証に重きを置いて、


「この文献では、『歴史』と『歴史性』が混同されていることが
問題だと思います」
「こういう比較の結果、私はこの文献が一番民族学者のフィール
ド・ワークの問題点を的確に指摘していると思いますが、皆さん
はどう思いますか?」


などと、自分の意見やクラスに投げかけるための質問も用意し
た。その週を一緒に担当したダイアンとも事前に打ち合わせをし
て、質問が重ならないように、扱う文献や視点を確認しあった。
私やダイアンが提起した問題点や意見をもとに、クラスメイト

が発言を始め、ディスカッションが軌道に乗った。


「グッド・ジョブ!」
と、授業の後に、クラスメイトやチューターの先生にも誉めて
もらえたのが、何より嬉しかった。民俗学と女性学の授業では唯
一のノン・ネイティブ・スピーカーだったが、めげずにくらいつ
いていって、本当によかったと思う。厳しい授業のほうが、身に
つくものが多いのだ、と実感した。