パンパン。顧問の近松先生が、大きく手を叩いた。部員達は歌うのをやめ、先生に注目する。「よし!今日の練習は、ここまでだ!ただな、お前達!あと1週間で大会なんだぞ。こんな調子でいいと思っているのか?ここんところ、根を詰めて練習してきたから、明日は休みにするが、大会が差し迫っていることを忘れないようにしろよ。」「はい!」「はい。」「はい。」部員達が、それぞれにはっきりと返事をした。「それでは、解散!」先生の合図とともに、部員達は帰り支度を始める。みんなが三三五五帰る中、部員3人がまだ残っている。1人は、長谷部光(はせべひかる)。3年生で、この合唱部の部長だ。面倒見が良いが落ち込みやすく、みんなからは、「部長」もしくは「ひかる」と呼ばれている。もう1人は、宮内聖(みやうちせい)。同じく3年生で、この合唱部のエースだ。クールな性格で、恥ずかしがり屋の面もある。みんなからは、「やっち〜」と呼ばれている。最後は、鈴本(すずもと)カイヤ。2年生だが、次期エースとして期待されている。熱血だが、おっちょこちょいで空気が読めないところがある。みんなからは、「ポンズ」と呼ばれている。部長が、思いっきり伸びをした。「あ〜、今日も練習終わった〜。一週間後か〜。緊張する〜。」そして、ポンズに話しかけた。「いや〜、ポンズ君、よくやってくれてるね。部長としても助かるよ。練習も熱心だしさ。」「ありがとうございます!それでも、先輩達には及びません。」「いや〜、そんなことないよ〜。ねぇ、やっち〜。」やっち〜が、顎に手をやりながら答えた。「ああ、そうだな。実際、ポンズはよく努力してるな。もとから声の質もいいし、才能もすごく感じてたけど、今はすごい伸びてるよな。でも、ひかる。このままじゃ、ダメだ。」「やっち〜も、そう思うんだ?先生も、そう言ってたよね。」「うん。二、三年生にまだ課題があると思う。」「そうか〜、でも、これ以上厳しくなったら、後輩の子達ちゃんとついてきてくれるかな〜。」「まとめます!」ポンズが、気をつけの姿勢のまま真剣な表情で言う。3年生2人は、頼りにしてるよなどと言いながら、ポンズの肩をそれぞれ叩いた。
やっち〜とポンズが帰ると、音楽室には部長だけが残った。部長も重い足取りで音楽室を出たが、近くの階段の踊り場で立ち止まった。そこへ、近松先生が通りかかる。先生は部長に気づくと、「長谷部、お前、まだ帰ってなかったのか?」と言った。部長は、少しうつむいて答えた。「あ、先生。今、ちょっと悩んでいたんです。」「まあ、部長だからな。色々悩みはあるだろう。だが、ずっと悩んでいても上手くなるわけじゃないぞ。せっかく休みを入れたんだから、休むのも大事な仕事だ。」「あ〜、はい。そうだとは思うんですが。実は、最近、わからなくなるんです。なんで、上手くなるために練習しているんでしょうか?」近松先生はやや驚いた顔つきをしたが、しばらく考え込んだ。やがて、意を決したように話を続けた。「それは、コンクールで金賞を獲るためだろう。」「あ、はい。それはわかっているつもりなんですが。」「そのために、みんなはやってきたんだろ?だから、私もお前達に金賞を獲らせたくて指導しているんだ。」「はい。それもわかっているつもりです。ただ、今日の練習で泣き出した子が何人かいるのを見てしまったので、自分がやっていることが正しいのか悩んでいるんです。」「ふむ。言いたいことはわかるが、それで限界を感じるなら、仕方のないことなんじゃないか?」「先生は、どうして、そんなにコンクールにこだわるんですか?」「長谷部は、コンクールにこだわってないのか?みんながコンクールで優勝を目指したいというから、私はその思いを支えているつもりだったんだがな。」「ああ、そうか。そうですよね。ぼくも去年までは、伝統ある中央青中の合唱部員として、コンクールで優勝を目指すことは当たり前だと思っていたんです。でも、いざ自分がみんなを引っ張っていく立場に立ってみると、無理して優勝を目指さなくてもいいんじゃないかと思えてきたんです。」近松先生は、ふむと長く息を吐いた。「そうか。その心の揺れが、最近のお前の歌声のブレに繋がっているのかもしれないな。責任のある立場だから考え込むのは理解できるが、今は難しいことは1度捨てろ!先輩達は、お前ならできると見込んで、この部を託したんだろ?部長のお前がそんな顔をしていたら、みんなも戸惑うぞ。後1週間、私を信頼するんだ。」「ああ、そうか。そうですよね。部員達の心を、揺らしてはいけないですよね。先生、すみません。忘れてください。ぼく、もう帰ります。」「ああ、しっかり休めよ。」「はい。ありがとうございます。さようなら。」そう言って階段をタタタタッと降り始めた部長の顔は、窓の外の空と同じく曇ったままだった。
翌日、ポンズは個室で音楽練習ができるお店へと来ていた。1レッスン終えてから、共同の休憩室でドリンクを入れていると、ドアを開けてやっち〜が入ってきた。お互いが、あっ!と言い合う。やっち〜から、ポンズに声をかけた。「ポンズじゃん!来てたんだ?やる気あんじゃん。」「はい!やっち〜先輩が通ってるって聞いたんで、自分も来てみました!」「でも、今日は休みだよ。ちゃんと休まなきゃダメじゃん。」「そうですね。でも、大会までもうすぐなんで、できることをしておきたいなって思って。」「さすが、ポンズだね。」「やっち〜先輩にそう言ってもらえるなんて、光栄です!」「マジ、頑張ってんの伝わってっから。」「そんな!やっち〜先輩の方が頑張ってますよ。」「いや、そんなことねぇよ。近松先生もさ、ポンズのことは目ぇかけてると思うよ。」「あざっす!でも、モンモン先生よりやっち〜先輩に認められる方が、自分は嬉しいっす!」「何、言ってんだ。」やっち〜は、珍しく照れたように笑った。けれども、すぐに真顔に戻る。口調は変わらずに、優しかった。「まあ、今年で最後だからな、先生。正直、モンモンがいてくれたから、今までこの学校もダメ金ぐらいには食い込めていたんだよ。」「ダメでも金賞って、凄いことですよね!」「うん。厳しい先生だけどさ、指導は的確だし、先生の力でここまで来れたってのはあるよね。だからさ、今年さ、今の雰囲気をポンズが少しでも吸収して、モンモンがいなくなった合唱部を引っ張っていってくれたら嬉しいと思ってる。」「はい!でも、ちょっと寂しいです。」「そうだね。その寂しさをさ、この大会にぶつけてさ、いい思い出にしていきたいよね。」「はい、頑張ります!」そこで、やっち〜は話題を変えた。「ポンズはさ、今日は練習に来てるけどさ。フラットな休日は、何してんの?」「実は、野球をしてます!」「え?野球してんの、なんで?」「オヤジが外国人なのは先輩もご存知だと思うんですが、実はプロ野球選手なんです。2軍ですけど。とにかく野球が好きで、時間があればぼくを野球に駆り出すんです。今日は脱走して、ここに来ました。」「へー、じゃあ、こっちに来た方がいいんだね。」「そうなんです。野球で、どうせ大声出させられるんで。」2人は、声に出して笑った。
「ところでさ。」やっち〜が、また真剣な表情を作った。「南中のやつらの歌、最近聞いた?」「あ〜、はい。連中の歌、本当は聞きたくないんですけど、聞きました。はい。」「あいつら、結構夜中まで練習してるじゃん?おれ、こないだ聞きに行ったんだけどさ。やっぱりね、音がまとまってるんだよな。おれが行ったのはさ、夜の10時だったんだけど、全然まだまだ怒鳴られながら歌ってたんだよね。あれだけ努力してるからさ、まあ大会でもデカい態度してるんだと思うんだよね。ムカつくけど。」やっち〜の言葉1つ1つを、ポンズは頷きながら聞いた。「ポンズはさ、ミヤ先輩の歌を聞いて入部したって前に言ってたじゃん?」「はい!あの新歓の伝説は、ぼくらの学年の語り草です!」「ミヤ先輩がさ、1人いるだけでさ、全体のハーモニーがさ、輝きを帯びるんだよね。」「あ、それ、わかります!ミヤ先輩の歌声に、全てが集まっていくっていう気がします。」「うん、歌声にさ、芯というか軸というか、そういうものが入っていて、ミヤ先輩の声を中心に、みんなの声が回って包み込まれていく感じがあるんだよね。」「ああっ、凄いわかります!」「あの感じをさ、今年も出したいんだよ。ミヤ先輩は、卒業していないけどさ。そのためにはさ、みんなの歌声がまとまってないといけないんだよね。歌声がまとまるためにはさ、やっぱり気持ちのまとまりが大切だと思うんだ。個々にさ、曲の解釈がバラバラじゃダメなんだよ。」「まだ大会まで、5日間もありますよ。ぼくらならできますよ。」「いいな〜、ポンズ。ポンズがいれば、2年は安心だよ。」「ありがとうございます!でも、それは、やっち〜先輩がいればこそです。2年はみんな、やっち〜先輩の後に続きたいと思っています。」やっち〜が、再びはにかんだ。「よし!3年も頑張るぜ!行こうぜ!全国!」「全国、行きましょう!」2人はドリンクサーバーの前で、固い握手を交わした。
次の日、音楽室では近松先生の怒号が飛んだ。いつものことではあったが、その時はいつもより少し激しかった。「お前達、なんだ今の体たらくは!大会まで1週間切ってるんだぞ!わかっているのか!ああっ、もうこのままやっていても意味がない!1度、全体練習を切る。パート練習をやってから、30分後に仕切り直しだ。」近松先生はそう言い放って、ぷりぷりしたまま準備室へと消えて行った。先生が去ると、室内には微妙な空気が流れた。無音の中で、しくしくと女子部員のすすり泣きだけが聞こえる。部長が、努めて明るい調子で振る舞う。「先生、厳しかったけどさ。言うことはもっともだ。ほら、泣いても笑っても、あとちょっとだから。よし、もう1踏ん張りしようよ。」それを聞いて、部員達も部長が言うならしょうがないといった感じで、切り替え始める。「もうイヤだ!」1人の女子部員が叫んで、音楽室の防音トビラを開けて出て行ってしまった。「あ、あ、あ。ごめん、ぼくちょっと見てくるよ。やっち〜、後を頼む。練習を進めていてくれ。」部長が慌てて、女子部員の後を追う。やっち〜が、その背中に親指を立てた。
練習後、ポンズは1人で準備室を訪ねた。「鈴本じゃないか。どうだ?練習に励んでいるか?」「はい、昨日、個室練習場に行ってきました。そこで、宮内先輩とばったり出くわしまして、色々と教えていただきました。」「そうか。来年は、宮内や長谷部のように、お前にこの部をリードしていってもらうからな。今のうちに、宮内から学べるところは学んでおけよ。」「はい。そのつもりです。」ポンズは、元気よく返事をする。そして、やや間をおいて、言い辛そうに続けた。「それで、先生、お話があるんですが。あの〜、さっき、宮内先輩が男子パートをめちゃめちゃ上手にまとめてくれたんです。」「あ〜、そういえば長谷部は女子の方に行ってたな。」「その時、宮内先輩の声かけで、男子パートに、ぎゅっとまとまりができたんです。ぼく、すごい感動しました!」「ほう、そうか。じゃあ、明日はその成果を楽しみにしよう。だがな、いくらまとまりがあっても、締めのソロパートがうまくいかないとダメなんだよな。」「そのことなんですが、やっぱり宮内先輩がソロを担当した方が、みんなの気持ちも1つになるんじゃないでしょうか?」「ああ、私もそう思ってるよ。なんと言っても、アイツは3年だ。お前とは、1年積み上げてきたものが違うからな。でも、そうも言ってられないこともあるだろう。ちゃんと練習しておくんだぞ、お前も。」「はい。先生に言われた通り、いつでも宮内先輩の代わりにソロができるように練習はしています!でも、ぼくは宮内先輩にソロをやって欲しいんです。」ポンズの絞り出すような想いを、先生は珍しく優しい眼差しで受け止めた。「鈴本、お前の気持ちはわかった。だが、1番はコンクールで金賞ゴールドを獲ることだ。そのためには、私は最善の選択をする。わかってるな?」「はい!それは、わかっています。先生が、ぼくたちのために一生懸命考えてくださっていること。ぼくたちに全国への切符を掴ませたいと思ってくださっていること。常々、強く感じています。」「うむ。では、練習を怠るなよ。話は終わりか?」「あと1つだけ!」「なんだ?」「宮内先輩は、今苦しんでいるんでしょうか?」「さあな。宮内は自分のことは、あまり口に出さないからな。ただ、お前も知っての通り、向上心は人一倍あるやつだ。気になるなら、お前の口から聞いてみろ。」「はい!わかりました!お時間、ありがとうございました!」ポンズは、ここで深く頭を下げた。
ポンズが先生と話している頃、やっち〜は学校の屋上にいた。屋上のすみで、ソロパートの練習をしている。そこへ、光がやってきた。相談したいことがあって、やっち〜なら今時分ここにいるだろうと見当をつけてきたのだ。やってきたものの、あまりに真剣に練習をしているので、声をかけられずにいた。やっち〜は、何度も同じところを繰り返し練習している。自分の歌声に、納得がいってない様子だ。光が諦めて戻ろうとした時、練習が途切れた。意を決して呼びかける光。「お〜い、やっち〜。」「ひ、光。お、お前、いつからそこにいたんだ?」やっち〜はたじろいだ様子で、光を振り向いた。光は、その様子には気づかずに答えた。「あ、いや、今、来たばっかりだけど。ごめん、練習、邪魔しちゃったよね?」「あ、いや、別に。何か用か?」「あ〜、ちょっと相談したいことがあって来たんだけど、練習中ならまた後で来るよ。」「いや、構わねぇよ。」「本当?しかし、相変わらず声がよく響くね。やっぱりうちのカウンターテナーは、やっち〜しかいないよね。」「ああ、そう思って、頑張ってるよ。」「あ、そうだ。飲み物持って来たんだ。はい。」「お、サンキュー。なんだこれ?裏に中国語びっしり書いてあるけど、大丈夫か?」「あ、うん。なんかカラオケボックスに新製品って置いてあったやつ。喉にいいって書いてあったから、買ってみたんだけど。」「ふーん。じゃあ、まあ1口飲んでみるか。」やっち〜は1口飲むと、おえっと吐き出した。光が焦って尋ねる。「あ、ごめん。まずかった?ぼく、まだ飲んでないんだ。」「お、おう、味はまあ、あまりよくないな。でも、喉にはスーッと効いている気がしなくもない。」「本当?ぼくも飲んでみるね。」光も1口飲むと、おえっと吐き出した。「うん。こりゃ、まずいね。でも、確かに喉には効いている気がする。」2人は、おえっ、おえっと言いながらなんとか全部飲み切った。しばらくの無言の時間の後、光が切り出す。「なんか同じフレーズを、何度も練習してたよね。納得いってないの?全体練習の時は、気づかなかったけどさ。」「ん?ああ、やっぱり見てたのか。まあ、いいや。お前には、話すけどさ。全体練習の時に、オクターブ下げて歌ってるじゃん?あれ、実は喉の調整のためじゃないんだ。」「え?どういうこと?」
やっち〜は、顔をうつむけた。光は心配そうに、覗き込む。う、う、う、とうめき声をもらすやっち〜。「まさかさ、こ、こんなタイミングで来るなんてな。」「え?あ、来るって、もしかして、声変わりってこと?」「ああ。」「そっか〜。ああ。そっか〜。そういうことか〜。」「ちょっと前から、なんだか音程が安定しないなと思っていたんだが、まさかな。レッスンを受けて調整を続けてきたんだが、体の変化だけはもうなんともしがたくて、、、」「そうだよな。そうだよな。ソロ歌いたいよな。」「いや、ソロにはこだわってないんだ。ただ、お世話になった先生が四国に行ってしまう前に、全国の景色を見せてやりたかった。そのためには、おれは歌わなくてもいいんだけど、正直、今から別のパターンを準備するのは厳しいかなって。」「確かにな。でも、部員の中には、お前にソロを歌って欲しいと思ってる人がたくさんいるし。特にポンズなんか、お前が歌わないと暴動を起こすんじゃないかなって思うし。だからさ!おれは思うんだよ!金を獲るためのコンクールじゃなくて、みんなでやり切ったって思えるコンクールを目指したいんだ!」「それはちげぇだろ。」光の熱弁を、やっち〜は冷静にきっぱりと否定した。光はうろたえて、そうなのかと肩を落とす。「別に、自己満のためにやってるわけじゃねーんだぞ。」「うん。それはそうなんだけど。でも、コンクールの主役はおれたちじゃないか!」「まあ、その気持ちはわかるけどな。あのさ、1つ提案があるんだ。そのポンズなんだけどさ。おれはソロパートを、アイツに継いでもらいたいと思ってたんだ。」「ああ、それはおれも思ってた。」「それで、急なことでさ。できるかどうかわかんないんだけど、今回のコンクール、おれの代わりにポンズにソロを歌わせられないか先生に相談してみようかと思ってるんだ。」「そうだな。ポンズはお前に憧れてるから、影でお前のパートの練習をしていたりするもんな。できるんじゃないか。」「できれば、もう少し早く決断したかったんだが、ずるずるきちまったよ。」「大丈夫だよ。おれたちには、まだ数日残ってるじゃないか!みんなもわかってくれるはずだし、ポンズならきっと間に合わせてくれるよ。」やっち〜は、光の真っ直ぐな眼差しを眩しそうに見つめ返した。
ポンズが準備室を出ようとすると、そこへ屋上で話を終えたばかりのやっち〜と部長がやってきた。「失礼します。」「失礼します。」「お、長谷部に宮内か。ちょうど良かった。お前達に話がある。今、鈴本とも話していたところだが、宮内の喉についてだ。」やっち〜と部長が、はっと顔を上げる。「先生、気づいてたんですか?」部長の問いかけに、近松先生が答える。「当たり前だろ。私が何年、中学生を指導してきたと思っているんだ?」「あれ?じゃあ、ポンズ君も気づいていたのかい?」部長が今度はポンズに聞くと、ポンズは慌てて首を横に振った。近松先生が、ポンズの代わりに話した。「鈴本には理由は全ては言わなかったが、地区予選の頃から宮内のソロパートを代わりにやれるように練習しておけと言ってある。先日、練習の成果を聞かせてもらったが、本番で通じるぐらいにはなっていると思う。私は金賞ゴールドを目指して全国に行きたいならば、鈴本に歌わせるべきだと考えている。その方が、確実だからな。まあ、この部の部長で、かつ部員のことを1番よくわかっているのは、長谷部お前だ。どちらが部のためになるのか、お前が決めろ。」「先生、宮内と鈴本のダブルで行くというのは、あり得ないんですか?」「それは、私も考えた。しかし、審査員に逃げたと思われるリスクもある。もし、ダブルで行くなら、その覚悟が必要だろう。それも踏まえて、3人で話し合え。2人の意見を聞いて、最終的には長谷部が決めるんだぞ。私はこの後、会議があるから、ここを使って構わないぞ。では、私は行くからな。」近松先生は、これ以上、何かを聞かれたくないといった感じで、そそくさと準備室を出ていった。
「ポンズ早いね。」部長が音楽室に来ると、ポンズが先に来ていて、早くも練習をしていた。「あ、部長、お疲れ様です!はい!今日は、授業が早く終わったんで、飛んで来ました。」「そっか〜。やっぱりポンズは、熱心だね。ところでさ、昨日の準備室での話の続きなんだけどさ。結局、昨日はほら、結論が出なかったじゃない?それで、まだ悩んでいてね。何度も聞いて悪いんだけど、ポンズはどう思う?昨日は、やっち〜がいたから本心語れなかったと思うしさ。」「いや、ぼくはやっぱりやっち〜先輩を尊敬してるんで、やっち〜先輩に歌って欲しいです。」「でも、やっち〜はさ、ポンズに歌って欲しいって言ってたじゃん。」「え?そうなんですか?」「あれ?昨日、あの場にいたよね?」「あ、いや、いたんですけど、やっち〜先輩は、全体のことを考えてああ言ってるのであって、本当は歌いたいんじゃないかと思っています。」「そっか〜。たしかに責任感強いもんな〜。」「部長!」「なんだい?」「やっち〜先輩は、優勝したいって思ってるんですかね?」「んー、まあ、アイツはずっと金を獲りたいって言ってるよね。」「やっち〜先輩が本当に全国を狙いたいと思っているなら、ぼくは自分がソロを歌いたいです。」「あ〜、そうか〜。そういうことか〜。ありがとう。そう言ってくれて。」「部長は、どう思いますか?」「うん、そうだね。おれ自身は、まだ決めかねてるんだけどさ。やっち〜は、この部のエースじゃん?アイツの気持ちになって考えると、今の調子で完璧じゃない姿を見せるのは、自分を許せないって思っちゃうんじゃないかな。」「そうですよね!やっち〜先輩って、そういうところがカッコイイんですよ!さすが、部長!やっち〜先輩のこと、よくわかってるんですね。」「ポンズ!君は真っ直ぐだね〜。まあ、おれはやっち〜とは幼稚園からの仲だからさ。色々、わかるんだよね。」「部長!」「なんだい?」「部長は、優勝したいって思ってるんですか?」「あ〜、それね〜。うん、したいと思ってるよ。」「本当ですか?」ポンズに詰め寄られて、部長は頭を掻く。
「本当だよ。まあ、みんなほどは強くは想ってないかもしれないけどさ。みんなが優勝したいと願っているなら、おれも優勝したい。」「みんなは、優勝したいと願っていると思います。」「そうだよね。だから、ぼくも優勝したい。まあ、どちらかと言うと、おれはみんなが幸せなら、それでいいかな。」ポンズが返答に困っていると、部長は謝った。「ごめんごめん。変なこと言っちゃったね。」「いえ、とても部長らしいなと思いました。ぼくも、そんな部長を見習います。」「いや、自分は見習わなくていいよ。おれなんかより、やっち〜の方がブレずに純粋に音楽を愛していると思う。おれはどっちかって言うと、頑張ってるみんなが好きなんだよね。」「どっちも最高の先輩です!」「そっか〜。ありがとう。まあ、おれたちのいいところがあれば、それは真似してもらってさ。悪いところは、これから直していってよ。」「悪いところがあるんですか?」「いっぱいあるよ〜。おれはメンタル弱いし。やっち〜は、あまり人に弱味を見せないし。」「そういうところが全部ひっくるめて、カッコイイんです!あ、でも、1つだけ気になってるのは、たまにモンモン先生を影でモンモンって呼び捨てにしているところです。」「え?あれ?バレてた?」「はい、あれは、いかに先輩達といえども、どうかなと思ってました。」「まあ、でも、そっちの方が愛があっていいんじゃない?」「あ、愛なんですね!じゃあ、ぼくも、今後は真似します!」「あ、いや、真似しない方がいい。やっぱ、ごめん。おれも改めるよ。良くなかった。影で言わずに、面と向かって言わなきゃダメだよね。」「わかりました!今度、試してみます。」「や、やめてくれ!」ポンズのKYが炸裂し、部長が躍起になって宥め続けていると、他の部員達が音楽室に入ってきた。
大会を3日後に控えた夕方、駅ビルの薬局でやっち〜は、とある棚のとある缶に手を伸ばそうとしていた。そんなやっち〜に、後ろから声をかける者がいた。「宮内じゃないか!」やっち〜が振り向くと、そこには高校の制服を着たミヤ先輩がいた。「ミヤ先輩じゃないですか。お久しぶりです。」「お〜、おれがいざって時にって勧めたやつ、使ってるのか?おれも、今日はこれを買いにきたんだよ。」「あ、まだ、使ったことはないんですけど、今がいざって時かなと思いまして。」「そうか。大会まで後3日だもんな。」「あ、気にしてくださってたんですね。嬉しいです。」「当たり前だろ。絶対、見に行くつもりだったんだからさ。後輩の晴れ舞台じゃないか!それに、モンモンも今年で終わりだからな。おれたちの果たせなかった全国への切符、手にしてくれよ。ところで、いざって時ってどうした?無理し過ぎたのか?」「あ〜、実はこのタイミングで来ちゃったんですよね。」「そっかー。なんとなく今話していて違和感を覚えたのは、それか。」「さすがに、これ効かないっスかね。藁にもすがる思いなんですけどね。」「喉痛めてるわけじゃないからな。」「まあ、優秀な後輩がいるんで、なんとか形にはなりそうなんですけど。」「でも、悔しいよな、ここぞという時に。」「そうですね。去年、先輩の後を任された日からずっと頑張ってきて、手ごたえもつかんでいたので、先輩にどこまで近づけたか試してみたいという気持ちはあります。でも、モンモンを全国に連れて行きたい気持ちの方が大事なんで。」「ソロは、その後輩に任せるってこと?」「はい、さすがに今のおれじゃ、厳しいと思うんで。」「そっか。」ミヤ先輩は、ふーと長く息を吐いてから、なあ宮内、と語りかけた。「おれは高校でも合唱を続けてるんだが、そこで初めて見えた世界があるんだ。」「見えた世界?」「ああ、中3の頃は、目の前のコンクールが全てだったんだけど、今はちょっと違う。ある大きな目標があって、そこに向かって行く間に成功したりつまずいたりするんだと思ってる。だからさ、お前も後悔しない道を選べよ。ソロ、歌いたいんだろ?」「うーん、そうですねー。」やっち〜は腕を組んでから、左手を顎に添えた。
「後悔、、後悔、、後悔は、、、しないと思います。」「なんでだ?」「自分の練習もそうですけど、後輩の指導とか、そういったものを諸々含めて、全部積み上げてきたものだと思っているからです。だから、どんな結果になっても、後悔はしないと思います。」「なるほど。信頼してんだな。よし!やっち〜の、いや、今年の中央青中のみんなの歌声、楽しみにしてるぜ。」「はい。期待しててください。ミヤ先輩のいた頃の青中ってサイコーでしたけど、先輩のいなくなった後の青中もサイコーってところ、見せてやりますよ!」「お、言ったな!厳しい目で見てやるからなー。」「よろしくお願いします。それから、先輩の活躍も楽しみにしてますからね、おれ。」「ああ、卒業したら、また一緒に歌えるといいな。」「ぜひ!ありがとうございます。」2人は、それぞれにエールを送り合って別れた。
紆余曲折を経て、関東大会はポンズがソロを歌った。結果は金賞ゴールド。見事、全国大会への切符を手にした。迎える全国大会直前に、奇跡が起きた。やっち〜の声が、安定してきたのだ。さらに言えば、より伸びのある声が出るようになった。そこで、もう1度編成を変えるかどうか1悶着あったが、まあそんなこんなを経て、いよいよ全国大会。ソロは、もちろんやっち〜。部員一丸となって全力を出し切り、いよいよ審査結果の発表。なんと中央青中は、そこで金賞ゴールドを手にするという快挙を成し遂げる。祝勝会で、やっち〜のスピーチが始まる。「光、ポンズ。おれに合わせてくれたみんな、本当にありがとう。そして、先生。いや、ここは敢えてモンモンと呼ばせてくれ。モンモン、お世話になったあなたが四国に行ってしまう前に、この全国の景色を見せることができて、本当に良かった。」近松先生は拳にぐっと力を込めて、涙をこらえて言った。「頑張ったな!お前達!」そんな近松先生は、四国で今度は高校の合唱部の指導に当たることになった。中央青中を卒業したやっち〜、光、ポンズが、モンモンと高校の全国大会で出会ったかどうかは、また別のお話。(完)