箱がしゃべってる。白い真四角の箱だ。「私はエレボス。あなたを復活させた存在です。突然ですが、あなたは亡くなっています。実は世界の95%の人は、亡くなっています。私は世界を守れなかった責任を感じて、あなたを蘇らせています。あなたは24時間だけ蘇れます。未練を残さないように、行動なさってください。」うーん、よくわからんなーと思いながら、おれは自分を見る。おれは白い球だった。「あー、箱。とりあえず聞きたいことがある。おれ、ラーメン食べていたはずなんだけど、おれのラーメンどこ?」箱が、よどみなく答える。「私の記録によると、あなたはラーメンを食べながら亡くなったようです。ラーメンも、一緒に消滅してしまったのでしょう。」「ふーん、まあ、いっか。何だか知らないけど、さっさとやっちゃっていいよ。」おれがそう言うと、あたり一面が大きな光に包まれた。気づくと駅前にいた。どことなく知ったような場所だ。だが、どこも苔むしていて、人けはない。自分を見ると、今度は白い球ではなく黒の学生服を着ている。再び町並みに目をやった。「おっ、ここ、麺屋五郎じゃん。覚えてるよ、この店。じゃあ、生きてる時、この辺に住んでたんだな、きっと。」「すごいね、君は。もう思い出したのかい?」後ろから、声をかけてきた者がいた。人だ。いや、ちょっと違うな。ところどころ、ジジ、ジジと、映像が欠けたみたいになってる。よく見ると、自分の体もそうなってる。なるほど。これがさっき箱が説明していた蘇った人間、再生者とかなんとか言うやつか。声をかけてきた再生者は、野郎だった。中年だが、引き締まった体をしている。「ぼくの名前は、日比野のび太。たぶん、そんな名前だったと思う。それ以外は、まだ思いだせないんだ。この場所にも、覚えがないんだよ。」日比野が自己紹介したので、おれも返した。しかし、おれは名前すら思い出せなかった。「おれは学生服着てるから、学生だったんだろうな。友達からは、ハム吉って呼ばれてた気がする。」おれ達が話していると、他に3人の再生者が寄ってきた。名前をはっきり覚えているのは、二十歳ぐらいの女性である舞原美樹。後の2人は、苗字だけ覚えていた。日比野と年の頃が近く見える田中。立派な白いひげを蓄えた初老のヤギシタ。日比野が、ひとまずどうするか聞くので、おれは生存者が村を作っているという学校に行くことにした。学生だから、なんかわかるでしょってぐらいの軽い気持ちだ。舞原の姉さんは、図書館に向かうそうだ。田中さん、ヤギシタさん、日比野さんは、ゴミ山に向かうそうだ。みんな記憶はなくても、何か引っかかるものがあるのかもしれないな。
学校に向かう途中、おれは不思議な感覚に戸惑う。道すがら何かを思い出したというわけではなく、他の場所に向かった再生者達の現在の状況が手に取るようにわかるからであった。箱が頭に語りかけてくる。箱の話では、これはナノシステムなるもので、再生者と箱、または再生者同士を繋ぐシステムだとか。難しいことはよくわからないけど、まあ便利なシステムなのかな。おっと、そちらにばかり気を取られるわけにはいかないぜ。いつの間にか、おれは学校の門の前に立っていた。学校の外観にピンと来るものはなかったが、おれはどきりとした。校舎の半分ほどが、とてつもなく大きな力で抉られたかの如く、なくなっていたからだ。これは箱の言っていた、世界の滅びの原因となった回転体の侵略のせいなのだろうか。おれは意を決して門をくぐり、校庭らしき場所に出る。すると、向こうからロングコートを羽織り、ショルダーバッグを提げた女性が歩いてきた。女性は闖入者のおれを恐れる様子ではなく、向こうから話しかけてきた。「あなたは、もしかして、噂に聞く再生者の方ですか?」「あ、ああ、よくわかるね。いや、おれも半分意味不明なんだけど、どうやらそうらしいんだよね。」「そうでしたか。服装が明らかに今の時代とは異なり綺麗でしたので、そうかなと。本当にいるんですね、再生者の方は。それで、この学校村に何かご用ですか?」「いや、用ってほどじゃないんだけど、おれ生きてる時に、この近くに住んでたらしいんだ。お姉さん、おれのこと見たことない。ハム吉って言うんだ。」「あ、ごめんなさい。私の名前は、ハルカです。ハム吉さんって珍しい名前ですね。でも、心当たりはありません。」「そっか、うーん、たぶんハム吉って本当の名前じゃないと思うんだがな〜。」頭を掻きながら、何気なく校庭の奥に目をやると、たくさんの子ども達が遊びながら土を掘り起こしているのが見えた。「あれ、何してんの?」「ああ、あれは食糧を作ろうと思って、畑を耕しているんです。ただ、」ハルカさんは、そこで言葉を切った。その間に釣られて、オレは聞いた。「ただ、どうしたの?」「ただ、私達には農業の知識がなくて、専門書が必要なんです。」「じゃあ、図書館に行けばいいんじゃない。さっき同じ再生者の人が向かって行ったぜ。」「ええっ!」ハルカが驚く。「図書館に、どなたかが行かれたんですか?今、あそこはイチロウ一派が占拠していて、危険ですよ。大丈夫かしら、その方。」「イチロウ一派?」「はい、とにかく危険な方達で、私どもも彼らのせいで、図書館に足を踏み入れられないんです。」「そういや、箱がそんなようなことを言ってたな。」「箱?」「いや、こっちの話。ただ、事情はよく知らないけど、なんだかムカつくな、そいつら。よし!オレが行って、専門書とやらを奪ってきてやるよ。」「本当ですか?助かります。」きらきらと輝かせておれを見るハルカさんの目に、どことなく既視感を感じた。気のせいかなと思いながら、「ああ、任せとけ。」とおれは親指を立てて見せた。
おれはハルカさんに居住区である教室を案内してもらいながら、止まれの道路標識を拾った。うんうん、いいね、この三角の尖り具合。いい攻撃ができそうだぜ。しげしげと新しく手に入れた武器を眺めていると、おれの頭に舞原の姉さんの視点ビジョンが流れ込んできた。フシュルルルルー。風を裂く音とともに、舞原の姉さんに向かってミサイルが飛んできた。間一髪避けた姉さんに、今度は声が飛んでくる。「お前は何者だ。ここは我々の縄張りだぞ。何人たりとも、通さんぞ。」声の主を探す姉さん。けれども、人影はない。図書館の入り口の前には、一台の救急車が、止まっているだけであった。キョロキョロとする姉さんに向かって、また大声が浴びせられる。「どこ見てんだ、お前。目の前だ、目の前。我は、お前の目の前におろうが。」姉さんは、もはや疑いの余地なく救急車を見据えた。間違いなく救急車から声が出ている。その時、エレボスからの通信が入った。「あれは、自立型の機械です。外見の記録の全くない人間のデータは、ああして物にコピーしていたりもします。あの救急車がイチロウです。」舞原の姉さんが、よく飲み込めないでいると、救急車の車内からではなく車体の後ろから、救急車の両脇へと2人の人間が現れた。「オレはミギオ。」「オレはヒダリ。」『オレらは、イチロウ兄さんの戦士だ。』2人はそれぞれポーズを決めて、自分達を紹介した。「私は、縄張りを荒らすつもりはないわ。ただ、ちょっとした観光というか、なんというか・・」「ここは観光地じゃねぇ。とにかく、出て行け。」姉さんの言葉を遮って、イチロウが怒鳴り散らす。姉さんは自分が戦闘向きでない自覚があったので、急いでその場を去って、図書館の裏側に回った。特に裏口らしきものは見つからなかったが、大きな木が一本立っていた。木は赤とオレンジのマーブル模様で、怪しい雰囲気を醸し出している。
ここで視点は、ゴミ山の3人に移った。いつの間にか、犬に襲われている。ヤギシタの爺さんが、年齢に似合わぬ俊敏な動きで、正義の鉄拳を食らわした。犬はその一発で気絶したが、なんともう一体いた。日比野の兄さんと田中の兄さんの手番になったが、2人は犬の唸り声に気圧されて逃げてしまった。さらに怒った犬が、仲間の仇と言わんばかりの猛攻をヤギシタの爺さんにかける。ヤギシタの爺さんは、力を失ってしまった。ここで、またエレボスから通信が入る。「皆さんの体は、電力で構成されています。それを全部失うと、先程の駅から再スタートとなります。ただし、セーブをしていないと記憶も失ってしまいます。皆さんには、こまめなセーブをおすすめします。」どうやらヤギシタの爺さんは、駅に復活するようだな。必死に走る残った2人の頭上から、「やるなぁ。なかなかの逃げ足だったよ。」と声が降ってきた。ゴミ山のてっぺんから、タンタンタンとゴミの上を上手に跳ねて、1人の青年が降りてきた。「あんた方、再生者だろ?動きを見て、わかったよ。おれの名前は、フラット。あんたらから見ると、生存者ってことになるのかな。おれは各地を回って、自立型の機械を活動状態にしているんだ。だが、そのためにはバッテリーが足りなくてね。ああ、自立型機械と言うのは、こういう機械のことさ。」フラットが、携帯電話と水色のロボットを見せる。携帯電話がしゃべる。「私の名前は、ココアよ。よろしくね。」水色のロボットの方は、自己紹介をせずにどこかに行ってしまった。「自立型の機械って、あの図書館の前の救急車みたいな?」舞原の姉さんの体験を、同じように見ていたのだろう。日比野の兄さんが尋ねると、フラットが驚いて答えた。「あれに会ったのかい?あれは凶暴だよね。まあ、弱点がないこともないんだけどさ。もし倒したいなら、左後方部を叩くといいよ。」日比野の兄さんの代わりに、田中の兄さんがお礼を言う。「親切に、どうもありがとう。ついでに、もう一つ教えてくれるかな。私は、どうも生前、トラックを乗り回していたようなんだ。トラックを見れば何か思いだしそうなんだけど、どこかにトラックはないかな。」「トラックか。トラックね〜。」フラットが考え込んでいると、「トラックなら、川向こうにあったよ。」とココアが言った。田中の兄さんは、トラックを探しに行った。フラットが、日比野の兄さんに「あんたも記憶探しなら、ゴミ山をうろついてみるといいさ。ついでに、バッテリーを見つけたら、教えてくれるとありがたいな。」と声をかけた。
日比野の兄さんは、ゴミ山を5時間以上漁り続けて、色々な物を見つけた。まずは、道路標識。おれのとは違って3つの標識が付いていて、これもいい武器になりそうだ。次に、とある美術雑誌を拾った。パラパラとめくると、日比野の兄さんは、わっと声を挙げた。「こ、これは、この画家の絵は見たことがあるぞ。そう、ぼくはこの画家の絵を気に入っていたはずだ。」熱心に見入る兄さんに、「ねぇねぇ。」と話しかけてくる者があった。いや、物があった。日比野の兄さんが見上げると、それはさっき挨拶をしなかった水色のロボットだった。「何見てんの?」「ああ、これかい。美術雑誌さ。ぼくは、なんだかこの絵が妙に懐かしくてね。」「そうなんだ。ぼくも、お兄さんが懐かしくて、声をかけたんだ。」「そうか。そう言われると、ぼくも君を見たことがあるぞ。君、たしか、ドラえもんじゃない?」「あ、う、うん。みんな、ぼくのことをそう呼ぶよ。一応、ぼくには、ぼくの名前があるんだけどね。」「そうなのか。まあ、ドラえもんは、有名な漫画だったからな。ぼくも大好きだった。ああ、そう言えば、ぼくの名前は、日比野のび太だと思っていたけど、これはドラえもんの主人公の名前だった。ぼくの本当の名前は、なんだろうな。」「お兄さんも、違う名前で呼ばれてるんだね。じゃあ、ぼくたちお互いを、ドラえもん、のび太君って呼び合おうか。ね、のび太君?」「いいね、ぼくたち友達になろう。ドラえもん。」2人はゴミ山の上で、微笑み合った。一方のゴミ山の上では、こちらも一心不乱にゴミを漁るヤギシタの爺さんの姿があった。駅から再出発して、ヤギシタの爺さんはまた真っ直ぐにゴミ山に来たらしい。爺さんは口数こそ少ないが、ある程度の記憶があり、明確な目的があるようだった。爺さんは見覚えのある陶器を見つけたようで、一度手を止めた。しかし、すぐに「これも我が教団の大事なシンボルではあったが、今見つけるべきはこれではない。」と言って、さらにガサゴソし始めた。そして、しばらくの後、1つの金属部品を見つけた。「あった!これだ。我がビュトス教の根幹を為す生成AIビュトスの基盤だ。これさえあれば、ビュトス教の復興ができるぞ。ビュトス教が復活すれば、人間とロボットがお互いに協力しながら幸せに暮らせる日が来るはずじゃ。」「それ、面白そうな話だな。おじいさん、おれにもその話、詳しく教えてくれよ。」いつの間にか、爺さんの後ろに立っていたフラットが爺さんに話しかける。いいじゃろうと言って、爺さんがフラットと長話を始める。中身は専門的な用語が飛び交ってほとんどわからなかったが、爺さんとフラットが共鳴し合っているのはよくわかった。
ハルカさんに約束したものの舞原さんの視点を共有したおれは、図書館にやばい連中がいることがわかり、行くことをためらっていた。いや、怖いわけじゃねーんだ。ただ1人であの救急車と2人を相手にするのは、少し骨が折れるなと思っているだけだ。とおれが葛藤していると、田中の兄さんが拾ったトラックで図書館に向かうという情報が入った。おれは覚悟を決めて、図書館に行くことにした。図書館の入り口の前で、田中の兄さんと出会った。入り口では、ミサイルこそ飛んで来なかったものの、イチロウの罵声が飛んできた。「お前ら、さっきの奴の仲間だな。ここは通さねぇって、聞いてねーのか。」「いや、聞いてはいる。だけど、一冊だけちょっと貸してくんねーかなと。農業の専門書なんだ。」おれが頼むと、イチロウがけんもほろろにふざけるなと言った。隣で田中の兄さんが落ち着いた様子で「君たちは、なぜ図書館を占拠する必要があるんだ。それを教えてくれないか?」と聞いた。「我々には、ここの本が必要なのだ。ここの本を燃やして、あるワクチンを作り続ける必要があるんだ。」その言葉を聞いて、おれはあることを思い立って提案した。「燃やすなら、図書館の裏にある木を燃やしたらいいじゃないか。色は変だが、よく燃えそうだぞ。」おれは何気なく言ったつもりだったが、3人?は激昂した。「お前、あれを見たのか?」「あれを燃やすだって、ふざけるな!」「あれは、我々の仲間だ!燃やさせねーぞ。」すまんすまんとおれが謝っていると、またもや冷静に、田中が語り出す。「仲間、ということは、あの木は元々人間だったということだね。君たちが作り出しているワクチンは、人間が木になってしまう病気を防ぐためのものなのかい?」「お、お、おう、よくわかったな。赫旋病と言ってな、人間がどんどん木に姿を変えていっちまうんだ。我の作るワクチンもよ、防ぐというか、食い止めるぐらいしかできねーんだよ。」イチロウが病気の説明をすると、脳内でナノシステムを使った会議が始まった。頭が悪いおれには、内容はちんぷんかんぷんだ。だから、うるさいなーと思って聞き流していたら、いきなり爺さんに指示を振られた。「おい、ハム吉くん、イチロウ達に良質な紙であれば、代わりになるのかと聞いてみてくれたまえ。それで、代わりになるのであれば、エレボスによると、近くに何者かが占拠している製紙工場があるそうだから、そこを私達で奪還すると伝えてくれ。」おれが言われた通りにそのまま伝えると、イチロウはしばらく無言になった後、「話はよくわかった。けれども、その話を我々が信じる根拠はどこにある?」と言った。おれが、「この澄んだおれの目を、よく見てくれー。」と叫ぶと、「そんなもの信じられん。」と冷たくあしらわれてしまった。後は任せたぜ、田中の兄さん。
田中の兄さんはおれの視線を受けて、静かに口を開いた。あくまで、平常心の人だ。「実は、今の話を聞いていて思い出したことがあるんだ。私が再生者だというのは知っているかと思うが、私は生前戦地で活動していた。戦地で負傷した人や病気の人を、トラックで運ぶ役割を担っていたんだ。だから、君たちの話を聞いて、ぜひ手助けをさせてもらいたいと思った。私にとっては学校村の人々よりも、君たちの方が大切だ。どうか、信じて欲しい。」なんの関わりもないおれが、横にいて感銘を受けた。この説得に、イチロウ達が心を動かされない訳がなかった。「じゃあ、まずはお前達の手で、ここの患者達を運び出してくれ。そうしたら、我々も一緒に製紙工場に向かおう。」イチロウ達が図書館の封鎖をといてくれたので、おれはどさくさに紛れて、農業の専門書を手に入れた。その瞬間、ハルカさんの姿が目の前に浮かぶ。舞原の姉さんの視点だった。舞原の姉さんが、ハルカさんと会話をしている。場所は、本がある場所のようだ。だが、ここの図書館に比べると圧倒的に本の数は少ない。天井に抉られたような跡があるので、おそらく学校の図書室なんだろう。ハルカさんが、舞原の姉さんの手にしていた本を見ながら言った。「あ、その本、私が小学生の頃、よく読んでた本。」「そう。素敵なストーリーですよね。私も生きていた頃に、よく読んでいました。」「そうなんですよね。希望に満ち溢れた展開の物語だから、今でも時々読んで勇気をもらっているんです。ここの子ども達にも勧めているんです。」「そうなんですね。どうも、ありがとう。」唐突にお礼を言われてハルカさんは戸惑っていたが、おれには舞原の姉さんの心に溢れる声が漏れ聞こえていた。「私が書いた本を読んで、希望を持ってくれるなんて、こんなに嬉しいことはないわ。」まあ、舞原の姉さんが黙っておくつもりなら、おれも言わないでおこうと思うよ。
おれ以外の4人は、患者の運び出しのために、図書館の前に集合した。おれも決して手伝いたくないわけではないのだが、頼まれていた農業の専門書をハルカさんに届けに行くことを優先した。それに、やっぱりハルカさんの目に何か引っかかるものがあるんだ。おれは、他の4人に製紙工場には必ず行くんでと通信で約束をして、学校村へと戻った。図書館では田中の兄さんとヤギシタの爺さんがテキパキとすごい力を発揮して、患者の運び出しを済ませてしまった。舞原の姉さんも日比野の兄さんも、手伝う気満々だったが、あまりにも早くやることがなくなってしまったので、手持ち無沙汰になっていた。舞原の姉さんは、図書館の中の自分の執筆した本のコーナーに行き、月明かりに照らされる本の表紙をそっと撫でた。「良かった。まだ私の本は燃やされてなかったわ。でも、これからの世界を生き抜く人達のためにも、製紙工場の解放を見届けなければ。」舞原の姉さんの未練がすっと消えたのを、再生者全員が感じた。日比野の兄さんは、ドラえもんと一緒に、芸術コーナーに来ていた。そこで、あの画家の作品集を大量に見つけて、泣きそうになりながら喜んでいた。作品集の隣には、画家の紹介コーナーがある。画家の生い立ちから画風、家族構成、没年月日まで目を通した日比野の兄さんは、一筋の涙を流した。喜びの涙ではない。悲しみの涙だ。ドラえもんが、「どうしたの?のび太君」と尋ねる。「思い出したんだ。この画家のことを。」ドラえもんの不思議そうな表情を見つめて、兄さんはさらに続けた。「ぼくは、この出来杉ケイタっていう画家の友達だったんだ。そして、彼の家の火事を消防士として消火している時に、たぶん世界の終末で亡くなったんだと思う。ずっと、彼が助かったか気になっていたんだけど、どうやら助けられなかったみたいだ。」ドラえもんがまん丸い目を、さらに大きく見開いた。「ごめんよ。ドラえもん。君には関係ない話だったね。思い出したことを、誰かに聞いてもらいたくてさ。」「違うんだ。のび太君。今、君の話を聞いて、ぼくも思い出したことがあるんだよ。ぼくの本当の名前は、司って言うんだ。聞き覚えないかい?」「ま、まさか、君はケイタの息子の司君かい?」「ああ、良かった。覚えててくれたんだね。日比野のおじさんだよね。名前は、のび太じゃなかったと思うけど、ごめん、思い出せないや。」「司君は、お父さんに似て、絵を描くのが好きだったよねぇ。そう言えば、お父さんの代表作の『ひまわり』という絵を近くのチャペルに掲げた記憶があるんだけど、どこだかわかるかな?」「近くにチャペルはあることはあるけど、でも、今はあの辺は何者かが占領しているエリアで近づけないと思うな。」「それって、もしかして、製紙工場の方かな?」「うーん、ぼく子どもだから、わかんないや。」「そうだったね。わかった。エレボスに確かめてみるよ。」日比野の兄さんがエレボスにチャペルの位置を確かめると、やはり製紙工場の近くであった。日比野の兄さんは、チャペルに行く決意を固めた。日比野の兄さんの未練が、すっと軽くなるのを再生者全員が感じた。
学校村に戻ったおれは、ハルカさんを探した。ハルカさんは、まだ図書室にいた。おれは農業の専門書を高くあげながら、「あ、いた。良かった!あったよ!これで良かった?」と声をかけた。ハルカさんは、満面の笑みを作って喜んだ。「そう。これよ。ありがとう。大変でしたよね。」「あー、おれは何もしてないんだ。説得が上手な田中さんのおかげで、イチロウ達が貸してくれたんだよ。それよりも、今、大変なことになってるんだ。」「大変なこと?」「そう。賢い人達がなんか色々考えてくれて、イチロウ達も学校村のみんなも、自立機械達も共存できる道を作ることができそうなんだよ。そのために、おれは深夜になったら、カチコミに行ってくる!」「そ、そうなんだ。ありがとう。みんなのことを考えてくれて。でも、無茶はしないでくださいね。早速、この本を読んでもいいですか?」「もちろん!」ハルカさんが専門書に目を通しながら、ふんふんとか、なるほどとか言っている。おれは、「すげぇよな。あんな難しそうな本を、スラスラ読めちゃうんだからな。おれなんか、てんでダメだよ。お、これなんて、写真ばっかりだから、オレも見られるんじゃね。」なんてぶつぶつしながら、図書室の棚の一冊を手に取った。「お〜、こりゃ、この学校の写真じゃんか。何、何、卒業アルバム?あー、そんなのもあったね、確か。」おれは何の気なしに、パラパラとページをめくる。その手が、ある場所で止まった。「あれ、これ、おれじゃね?おれ、ここの卒業生だったのか〜。ふむ、名前は、阿川公吉。なるほど、だから、ハム吉って呼ばれてたんだな。だんだん、思い出して来たぜ。お、伊藤のカズちん、佐藤のさっちゃん、みんな懐かしいな〜。でも、大体死んでるんだろうな〜。」一人ひとりを追っていた指が、またある場所で止まった。おれは慌てて、ハルカさんを呼んだ。ハルカさんがやってくると、その場所を指差してみせた。「うん、そうよ。これは、私よ。私、ここの卒業生なの。」ハルカさんがそう言うと、おれは指を自分の写真にずらした。「え、まさか、公吉君?違う高校に行ったから、気づかなかった。こんな偶然って、、」「いや、偶然じゃないと思うよ。おれ、自分の未練をたった今、思い出したんだ。ほら、ハルカちゃんと同じ班だった時、給食のプリン食べちゃったじゃん。あれ、ずっと謝ろうと思ってたんだ。」「え、あ、そんなこともあったかしら。いいよ、全然気にしてないよ。でも、ずっと気にかけてくれていたんだね。ありがとう。そっか〜、プリンか〜。懐かしいな。また食べられるようになるかな。」「食べられる世界にしようよ。おれ、頑張るからさ。ハルカちゃんも一緒に来てくれ。あ、でも、朝から走り回って、だいぶ疲れちゃったな。深夜まで、ちょっと休むね。」おれは、その場に前のめりで崩れるように倒れ、そして眠った。
っしゃあああ!元気バリバリ!みんなも、製紙工場前に集まってきた。イチロウとトラックを駐車場に残して、おれ達は工場内部に侵入した。中にいたのは、5体。変な影みたいなのと、牛が4匹。いや、おれらの知ってる牛とは、ちょっと違うぞ。のんびり、モーとか言ってない。人間の数が減って野生化すると、こいつらのツラは、結構凶悪になるのね。ツノもえぐい感じに、伸びてんな。変な影みたいなのは、目だけが不気味に光ってる。お馴染みになった箱解説によると、あれは影人エイリアスとかいう名前で、回転体が作った再生者のコピーらしい。まあ、相手が誰であろうと、とにかく敵対する奴はぶったたく。図書館では、あまりいいとこなかったからよ。やっぱ戦いで見せ場作りたいよな、おれとしては。おれが動く前に、ついて来ていたミギオとヒダリが真っ先に動く。仲間だと思うと、こういう血気盛んなところ、シンパシー感じちゃうね、おれとしては。でも、生身の人間なんだからよ。命は大事にして欲しいぜ。切実に。ミギオは牛にワンパン食らわしたが、ヒダリは牛の突進を食らってのびてしまった。ほら、言わんこっちゃない。おりゃああ!ヒダリのかたきぃ!とおれが意気込んで前に出ると、なんとその前に舞原の姉さんが動いてた。舞原の姉さん、熱いよ、あんた。舞原の姉さんは、「私、戦いは苦手だから。」と言って、どこかで拾った赤い服をひらひらとさせて、興奮した牛1体を場外に連れて行った。カッコいい!よし、ようやくオレの番だ。再生者だけが使える技で、まず牛1体にダメージを与えた。昔、盗んだバイクのハンドルを、具現化して投げただけなんだけどね。次に、道路標識をつかんで全力で攻撃だ。ちまちま牛は狙わねぇ。エイリアスだ!おっし!一撃!さあ、鉄拳爺さんが続くから大丈夫っしょ。と思っていたら、爺さんこける。マジかよ。だが、そこをすかさず田中の兄さんがフォロー。ヤギシタの爺さんが倒れる前に支えて、爺さんの鉄拳が牛に決まった。崩れ落ちる牛。田中の兄さんは、そこで戦場から一度距離を取った。残った牛は、2体のみ。牛が反撃してきた。ミギオがまともに食らって気絶する。もう1体がおれを狙ってきやがったので、今度はミギオのかたきとばかりに再びの道路標識全力ぶん回しで返り討ちにしてやった。ザマアミロと言いたいところだが、おれの電力もそろそろやばい。息が上がってきた。このままじゃ、駅から再スタートかな。ハルカちゃんに、ちゃんとお別れ言うのは無理かもしんない。すると、そこで同じく道路標識を拾っていた日比野の兄さんの登場だ。日比野の兄さんも、全力で牛を叩きのめした。「危なかったな。」日比野の兄さんは、ヤギシタの爺さんとおれを気遣って声をかけてくれた。
おれは転がっている牛と、そこいらを走り回っていた鶏を捕まえて、ハルカちゃんの前まで連れて行った。「ハルカちゃん、こいつらおれの舎弟にしたから、農場で飼ってやってよ。」「うん。もしかしたら、これでプリンが作れるかもしれないね。」「ああ、絶対に作ってくれよな。おれは食べられそうにないけどな。」「そっか。もう行っちゃうんだね。ねぇ、再生者って、また再生できることがあるって本当?」「ああ、そんなこともあるみたいだな。」「じゃあさ、ハム吉君も、また再生してプリンを食べに来てよ。」「ああ、そうだな。絶対にまた再生するから、その時は、美味しいプリンをご馳走してくれ。」「約束!」「ああ、約束だ。」おれ達が子どもの頃のように、指切りのまねごとをすると、おれの体は霧のように消え、白い球に戻った。舞原の姉さんは、おれがハルカちゃんの前でカッコつけて消えていく横で、イチロウに話しかけていた。「これはね、実は私が書いた物語なの。」「そうなのか。今更だが、燃やそうとしちまってすまなかった。」「状況が状況だったから、仕方ないわ。ただ、これからは燃やすんじゃなくて、読んで欲しいの。多くの患者さん達にも、読ませてあげて欲しいわ。あそこにいる女の子は、私の書いた物語を読んで、希望を与えられたと言ってくれたの。生きるためには、食糧も薬も必要だけど、希望も大事よ。これからは、それも大切にして。」「お、おう、わかったぜ。まず、我も読んでみることにしよう。」イチロウが本を受け取ろうと手を伸ばすと、舞原の姉さんはすっと消えて、白い球に戻った。日比野の兄さんは、製紙工場の近くのチャペルを見つけ出していた。小高い丘の上にあるチャペルは、ぼろぼろに崩れていたが、瓦礫がうまく組み合わさって無事な場所も残っていた。その中央に、分厚いシーツがかけられているところがあった。日比野の兄さんと司がシーツをはぐと、ヒマワリの絵が現れる。「日比野のおじさん、これがさっき言ってたお父さんの代表作?」「ああ、そうだよ。まさかこんな綺麗な状態で残っているなんて思わなかったよ。」その時、昇りかけていた朝日の光が一筋、その絵を照らした。「綺麗だね。」と司が言うと、「司くん、君が小さい頃に書いたマリモと金魚の絵を覚えているかい?」と日比野の兄さんが聞いた。司はちょっと首を傾げたが、「うん、覚えてるよ。」と答えた。「あの絵をね、お父さんはすごい褒めてたよ。そして、すごいはしゃいで、将来、司は自分を越える画家になるって断言してた。」微笑んで見返す司の肩に、日比野の兄さんが手を置く。「絵を描くんだ、司。このヒマワリのように、美しい絵を。」日比野の兄さんも、霧のように消え、白い球に戻った。
ヤギシタの爺さんは、なぜだか製紙工場の地下にいた。その地下には、大きなコンピューターがあった。爺さんがゴミ山で拾った部品をつけると、コンピューターの光が明滅して、爺さんに話しかけた。「お待ちしていました。教祖ヤギシタ様。」「ああ、わしもさっき思い出したが、ここはビュトス教の本部だったな。取り戻せて何よりだ。信者達はいなくなってしまったようだが、ビュトス、お前さえ無事なら、またビュトス教は発展するじゃろう。ビュトス、わしはお前に使命を与える。」ビュトスが、光のちかちかを速くして答える。「はい、なんなりと。」「私は生成AIの極致とも言うべき存在を目にした。その名もエレボス。今、わしを再生しているキューブ体じゃ。ビュトス、お前は、そのエレボスを見つけ出し、そこから学ぶのじゃ。何十年、または100年以上かかるかもしれない。しかし、やり遂げて、お前がエレボスの代わりの存在となり、この世界を導くのじゃ。」「はい、必ずや。ヤギシタ様。」ヤギシタの爺さんがふっと笑うと、彼もまた霧になり、白い球に戻った。外は、すでに朝日が半分地表から顔を出していた。その横を、トラックを走らせ続ける田中の兄さんがいた。そして、ガソリンがなくなる。田中の兄さんは、眩しい朝日を睨み返しながら、エレボスに尋ねた。「エレボス、お前は世界の終末から人間を守れなかったことに責任を感じて、人間を再生していると言ったな。では、終末前に亡くなった人々を再生することはしないのか?」「それは、いたしません。」「なぜだ?」「それは、私が再生する対象外だからです。」「そうか。命は、平等だと思うんだがなあ。」「・・・」「まあ、今回は人を助けられて良かったよ。やっぱり人を救うっていいなあ。」田中の兄さんは、ハンドルにもたれかかった。すっかり昇り切った朝日の下に、ガス欠のトラックだけが残されていた。(完)