ぼくは飼い猫だ。世の中の猫の中には、飼い猫を馬鹿にするやつもいるけど、ぼくはそんなのは気にしない。だって、エサの心配をしなくていい。寒い思いをしなくていい。何より、飼い主の愛情をたっぷり受けられるのだから。ぼくの飼い主はリサちゃん。小学校というところに行っているらしい。人間の年だと、12才とかなんとか。とにかくぼくのことをかわいがってくれる。まあ、当然だろう。なんといっても、ぼくのかわいさは半端じゃない。灰色と黒の短いが美しい毛並みを持っている。リサちゃんのお父さんが言っていたが、ぼくはマンチカンという種類らしい。つぶらな瞳も、ぼくの持ち味だ。リサちゃんは、いつもぼくのことを呼んでいる。「ムクー、ムクー。」ムク、これがぼくの名前だ。ニャーん。ぼくは愛らしさをたっぷりこめて、返事をする。ぼくは幸せ一杯だ。でも、そんなリサちゃんも夜になると眠ってしまう。そうすると、ちょっぴりさみしい。だから、ぼくは猫の集会に行く。そこには、いろんな猫達がいる。最近は、こげおという野良猫のボスがいる集会に出ている。広場がたまり場だ。ぼくはいつもの赤い鉄の魔物の上に横たわって、みんなを待つ。この赤い鉄の魔物についている馬のマークをかりかりするのが、ぼくは好きだ。「あ、ムクさん。こんばんニャ。」なんだか、ぴらぴらした紙のような物体が声をかけてきた。「あ、やまとこニャ。今日もマンチカンらしくしてるかニャ。」ぼくは、その紙に声をかける。「はい。おかげで、マンチカンらしくなってきましたニャ。」紙が答える。この紙は、自分を猫だと思っている。そして、ぼくを見て、マンチカンになろうとしているらしい。ぼくはマンチカンのかわいらしさを、このやまとこという紙に教えてあげている。「よし!、じゃあ、今夜はこの動きを身につけるニャ。」ぼくはそう言うと、人間に擦り寄るような動作を見せた。紙もくるくると回りだす。これはこれで、かわいいと言えなくもない。「待たせたな。」そうこうしているところに、こげおがやってきた。後ろには、みかんという猫も続いている。こげおは野良猫のボスらしく、ずんぐりと大きな体をしている。みかんは、まるでぬいぐるみのような毛並みで、水玉模様をくっつけている。みかんも、およそ猫らしくない。でも、猫はそんなことは気にしないのだ。
「今日は、これで全部か。よし、夜回りを始めるか。最近、ヨナの活動が活発になっているからな。気を引き締めていこう。」こげおが野太い声で言った。ヨナというのは、夜中に動き出す人間に悪さをするやつのことだ。人間が言うところの妖怪というやつだ。人間はぼくらにエサを届ける大事な存在だ。だから、猫はこっそり人間をヨナの脅威から守っているのだ。ぼくらは、まず団地から見回ることにした。団地のごみ集め場にさしかかった時、みかんのひげがぴくぴくとした。「その物陰に隠れているのは、誰ニャ?」すると、たくさん積まれているごみ袋の裏から、白い影が現れた。ぼくらは、それぞれに身構えたが、よく目をこらすとそれは白猫だった。「ぽむニャ。」ぼくは言った。「なんだ、ムク、知り合いか?」「ぼくの家の近所に住んでいる家で飼われている猫ニャ。うちの家ほどじゃないけど、なかなか立派な家ニャ。」「ムク。もしかして、夜回りか?助かった。頼みがあるんだ。おいらの飼い主のユウナちゃんを探してくれ。」ぽむが息を切らしながら、あわただしく言った。よく見ると、いつもはきれいなぽむの体はところどころ汚れている。ユウナちゃんは、ぽむの飼い主の名前だ。たしか、リサちゃんより少し大人の女の子だった。「ユウナちゃん?ユウナちゃんがどうしたニャ?」「ユウナちゃんが、家を飛び出して行っちゃったニャ。お父さんと喧嘩したらしいニャ。」「わかったニャ。どこを探せばいいニャ?」「今、ヒト町と団地は探し終わったから、次は公園に行ってみたいニャ。」ぼくは、集会のみんなを振り返った。みかんがうなずく。やまとこがぴらつく。こげおが言った。「いいだろう。こんな夜中に、女の子一人は危ないからな。みんなで、公園を探そう。」「ありがとうニャ。頼むニャ。」
公園に着くと、そこを根城にする猫の集会がいくつかあった。滑り台集会、ぶらんこ集会、砂場集会、でっかい竜のジャングルジム集会。ぼくらは手分けして、聞き込みをすることにした。「おーい、お前たち。こっちだこっち。」生け垣の茂みから、こげおがみんなを呼ぶ声がした。そこにはベンチがあって、もう少し前の時間だと、音のなる器具をならす人がたまったりする。「さっきまでな、ここにいた猫から聞いたんだが、ユウナはよくここに来ていたらしい。そして、あれだ。そう。なんだ。」こげおがもどしかしそうにしている。ぼくはピンと来た。これは、あれだ。そうだ。ニャラティブだ。ニャラティブとは、人間の言葉がわからない猫に、猫が一生懸命に猫語で伝えようとする行為のことを言う。ニャラティブする方も、される方も真剣だ。「ユウナは、ここでよく人間の言葉?ではない、鳴き声?みたいなものを出していたようだ。それは、ほら人間がご機嫌な時に出すあの鳴き声だ?」「人間がよく見ている箱から聞こえてくるやつかニャ?」みかんが、質問をする。「そうだ。それに近いと思う。」「リサちゃんも、その箱でよく見てるニャ。鳴いている人間ニャ。」今度は、ぼくが合いの手を入れた。「鳴き人ニャ!」やまとこも続ける。そこからは、猫達の大合唱が始まる。「鳴き人ニャ!」、「鳴き人ニャ!」、「ニャき人ニャ!」最後の方は、みんなでニャーニャー鳴いて何だかよくわからなくなったけど、とにかくニャラティブは成功したようだ。「そうか。」ぽむが叫ぶ。「ユウナちゃんは、鳴き人になりたかったのニャ。だけど、お父さんが音の出る器具をこわしてしまったニャ。それで、ユウナちゃんの心のなんだろう。そう。あの気持ちだ。ムク、わかるか?ムクが、この中で一番わかる気がするんだ。」
ニャラティブ!今度は、ぼくの番だ。ぼくのヒゲが緊張でぴりぴりとふるえる。ぽむは、人間の気持ちについて話している。そして、この中ではぼくが一番わかると言っている。ぼくは、こう切り出した。「ユウナは、ぼくニャ。」「ユウナが、ムク?マンチカンってことか?」こげおが尋ねる。「違うニャ。ぼくは、みんなにぼくのことを見て欲しいニャ。」「たしかに、ムクさんには、そういうところがありますね。」やまとこがうなずく。「リサちゃんがこっちを向いてくれないと、こうするニャ。」ぼくは喋りながら、グー手で宙を4回切った。「ちょいちょいちょいちょいニャ。その気持ちは、よくわかるニャ。」みかんがハッとして、一緒にグー手で宙を切る仕草をした。その後は、もうみんなで宙を切りまくった。何だか変な儀式をしている集団に見えるかも知れないが、これでニャラティブ成功ニャ。「まずいな。もし、ユウナが鳴き人になりたい思いを理解してもらえなくて、ちょいちょいちょいちょいの状態なら、危険だ。ヨナは、そういう人間の気持ちにつけこんでくるからな。」こげおの声に、みんなハッとして宙を切るのをやめた。「ぽむ。ユウナが行きそうなところに、心当たりはニャいのか?」ぼくの質問に、ぽむが考えこむ。しばらく、沈黙が流れた。「神社ニャ!」意外なことに、やまとこが答えた。「神社には、よく鳴き人になりたい人間がお祈りに来るニャ。そして、鳴く練習もしていくニャ。」「よし!神社に行ってみるぞ!」こげおの号令で、一斉に走り出した。走りながら、ぼくは不思議に思った。なんで、やまとこは神社のことなんて知ってるんだろう。あの、薄っぺらい紙みたいな姿と何か関係があるのかニャ。まあ、そんなことは、今はどうでもいい。まずは、ぽむのためにユウナを見つけよう。できれば、ユウナのちょいちょいちょいちょいも救ってあげたい。
鳥居をくぐると、社の方から鳴き声が聞こえてきた。一瞬ユウナかと思ったが、それは間違いなく猫の鳴き声だった。ニャニャニャーミャミャミャにゃーんごろごろー。とてもリズミカルな鳴き声で、聞いていて心地良い。うっとりとするような鳴き声だ。体が引き寄せられるみたいに、そちらへと近づいていく。こげおも、みかんも、ふらふら足だ。やまとこは、ぺらぺらと滑っていく。鳴き声の主は、美しい白猫だった。でも、はっきりとその姿を見るのは難しかった。何十匹という猫が、周りを囲んでいたからだ。みんな、白猫の鳴き声に聞き惚れている。ぼくらも、こぞってその輪に加わろうとした時だった!「待つニャ!」ぽむの鋭い声がした。「あれは、ユウナニャ。」「ユウナ?あの白猫がか?だって、あれは猫だぜ。」邪魔をされて、こげおが不機嫌そうに返す。ぽむが猫目をすぼめた。「間違いないニャ。あの猫の首にかかっている飾り、ユウナちゃんと同じ物ニャ。」「そうか。だとしたら。」言うが早いか、こげおは大きくジャンプして、白猫に飛びかかった。こげお得意の猫パンチだ。白猫はさっと後ろに跳んだ。着地したのは、もはや白猫ではなかった。白いけむりに似た形をした何かだった。『じゃまをしないで!今、みんなに私の声を聞いてもらっているところなのよ!』そうニャーそうニャーと群れがいきり立つ。さすがこげおは肝が座っている。群猫には目もくれないで、白いけむりをにらんでいた。「お前は人間だ!思い出せ!お前は、今ヨナに取り憑かれているんだ!」おいヨナだってよと、群れに動揺が走る。「そうよ。そんなのわかってるわよ。私は人間よ。でも、人間のままでは、私の声は誰にも届かないの。猫なら、こうして大勢が聴いてくれるわ。」白いけむりが、みるみるふくらんでいく。
群れの波が一気に引いた。それぞれの猫達が、おそるおそる白いけむりを取り巻いている。腰が引けて、今にも逃げ出そうとしている者もいる。違う、そうじゃない。ぼくは精一杯怒鳴った。「みんな、すりすりするニャ。」ポカンとした表情がぼくに集まる。ぼくは構わず続けた。「けむりに、すりすりするニャ。ヨナに取り憑かれている人間は、ユウナという女の子ニャ。ユウナの気持ちは、このグー手の動きニャ。つまり、ちょいちょいちょいちょいニャ。この気持ちを、ヨナに利用されているニャ。ちょいちょいちょいちょいには、すりすりが一番ニャ。こわいかもしれないけど、みんなですりすりするニャ。」ナーゴ、ナーゴ、ナーゴ、ナーゴ、一匹また一匹とけむりに、すりすりを始めてくれた。徐々に、段々と、けむりがしぼんでいく。それは、なんとなく人の形になり始めていった。ニャーん。果敢に、飛び込んで行く猫がいた。ぽむだ。今こそ自分の出番だと思ったのだろう。「ぽ・・・む?」けむりの中から、人の口元が現れた。その唇に、ぽむの手が優しく触れる。「ぽむ。私、、私、歌いたかっただけなの。」ぽむが、今度は耳や顔を口元にこすりつける。すると、うっすらとけむりが晴れていき、やがて一人の女の子が目の前に現れた。涙をこぼしながら、腕にしているぽむを見つめている。「ぽむ。ありがとう。こんな私でも、大切に思ってくれているのね。うん、帰ろう。おうちへ。」ユウナはぽむをぎゅっと抱きしめると、ゆっくりと一歩を踏み出した。ほんのちょっと苦しそうな顔をしたぽむだったが、ユウナの腕の間から上手に顔を出すと、こちらに向かってニャーと鳴いた。こげお、みかん、やまとこと一緒に、ぼくもニャーと鳴いた。鳥居の向こうが白み始めている。間もなく夜が明けるのだ。まずい、リサちゃんが目を覚ます前にぼくもうちに帰らなきゃ。
ふぅ、間に合った。ぼくが窓の桟に足をかけるのと、リサちゃんの目覚まし時計が鳴るのがほぼ同じだった。ぼくは寝ているリサちゃんの顔に、グー手でちょいちょいちょいちょいをした。「ん。」リサちゃんが、ちょっとだけ動く。ぼくは、さらにリサちゃんに頬ずりをした。「なあに?ムク。」ぼくは、ニャーと鳴く。リサちゃんは毛布から出したばかりの温かい手でぼくを撫でながら、ふふと笑った。「本当に、ムクったら、甘えん坊なんだから。」ぼくは、なんとかリサちゃんを外に誘い出し、後について来てもらうことに成功した。なになに?もう!とか、まだ眠いよ、とか言いながも、リサちゃんはぼくを追ってくる。ぼくは時折振り向いて、ミャーと鳴く。そうこうしながら、ぼくたちは神社に着いた。朝の境内は、静かだった。さっきまで、あんなことが起きていたなんて信じられないくらいに。ぼくは縁側に飛び乗って、小さな社をぐるりとした。途中で、変な障子を見つけた。なんだか猫の形に見える障子だ。リサちゃんが後からやってきて、何これかわいい!猫に見える!と言いながら、変な機械を向けてカシャカシャと音を立て始める。ぼくは障子の隣の柱に爪を立てて、研ぎ始めた。数日後の昼間、ぼくとこげおは、ぽむに連れられてぽむの家に行った。広い庭の真ん中に、ベンチに座っているユウナがいる。ユウナは音の出る器具を鳴らしながら、気持ちよさそうに声を出していた。3匹は塀の上に丸くなって、その声を聞いた。ふぁーあ。快い光と風と声で、だんだん眠くなってくる。今にもまどろみそうになった時、ぼくはピンと耳を立てた。塀の上から、隣の家の窓が見える。その窓にちょこんと座るように置かれている水玉模様のぬいぐるみが、こちらにウィンクをしたように見えたからだ。じっと見つめてみるが、ぬいぐるみは動かない。ぼくはまたあくびをして、今度こそ眠りに落ちた。(完)