そのころ、彼が私の家に遊びに来る回数は増えていた。

週に3-4回は会っていたし、朝、昼と2回けっこうな長電話をした。

その内容は大体、仕事のことや将来のこと、その他日常の他愛もない話が多かったがその4月を過ぎたあたりから、彼が体の不調を訴えることが多くなっていった。

 

「腰が痛いんだよ。ベッドのせいかな?」

 

彼が使っているベッドは、1年位前から背中にあたる部分が穴が開いたようにへこんでいたらしい。

ベッドを買いなおお金がないので彼は布団を買ってリビングで寝ることにした。

 

「これで治るかな?」

 

かなり大きな期待を抱きつつ、その日彼は眠りについた。

 

その日の朝、彼はあせって電話をかけてきた。

今まで見たこともないくらい、顔がはれ上がっているというのだ。

後で写真を見せてもらった。

色や表面の様子はそのまま。

ちょうど風船に空気を入れたようにそのまま膨れていた。

「太ったおじさん」

まぁ、こんな人もいるよなぁといった程度だけれども、

それはまるで別人のようだった。

 

今まで壊れたベッドで頭を高くして寝ていたのを、布団を強いて水平に寝たせいだと言っていた。

「今日俺、病院行ってくる」

それでもその顔があまりに異常なので今日は仕事を休んで病院にいくといって、電話を切った。

 

私はなんとなくそんなに重く考えなかった。

彼は他にも通風とか色々具合の悪いところがあったし、なんとなく、

「またか」

という感じだった。

 

そしていつものように昼ごろ、電話をした・・・かどうか覚えていない。

ただ、「肺に影があるので来週再検査しましょう」

そういう話だった。

 

 

 

私たちは年の離れたカップルだった。

当時私は32才で、彼は50才。

 

彼はお世辞にも若く見えるほうではなかったけれど、

ハンサムでちょっと自慢だった。

 

2人でよく自転車で出かけた。

お気に入りのコースは川沿いの道を往復で100kmくらい。

いつも彼のほうがペースが速くて先に行ってしまうので、

追いつけなくなった私が文句を言って喧嘩になったことがあった。

 

仕事もたまに体を使うような職種だったし、もともと体力はあった。

 

それが少しおかしくなってきたのは2014年くらい。

友人宅に2人で呼ばれたときだった。

長時間座っているのが疲れるのか、ソファにひじをつくような形ですぐ横になってしまう。

私の家に来たときもすぐにベッドで横になるので、

「年なのかな」

と、単純にそう思っていた。

年齢が離れている分、余計に当たり前に感じた。

 

それでもそのころはまだ、自転車にもしょっちゅう乗っていたし、

その年も何回も2人で出かけた。

 

でも、年末くらいから私の仕事も忙しくなって、季節も寒くなって、なんとなく自転車で出かける機会は減ってきた。

 

それから年が明けて4月。

暖かくなって自転車乗りにはうれしい季節だ。

彼は1人で遠乗りに出かけた。

(私の家とは逆方向の自然の豊かなコースに)

 

彼から電話がかかってきた。

「今さ、○○湖に来てるんだけど、キツくてさ」

確かにそこは、いわゆる「激坂」を越えた先にある湖だ。

「今から帰るんだけど脇が痛くてさ・・・」

 

なら病院にいけば?そんな会話をしながら電話を切った。

その後も帰りの道すがら、何度も電話をかけてきた。

「疲れたよ。脇が痛いし、俺、病気なのかな?」

とはいうもののそんなに深刻な風でもなく、休憩ついでにおしゃべりを楽しんでいる感じだった。

 

私たちはいつもこんな感じだった。

家が離れていたから、会えない日は四六時中電話をしていた。

平日でも。

 

この日の「脇が痛い」という事件も、その後日常に紛れて忘れてしまった。

去年、恋人が肺がんで死んだ。

 

彼がなくなった直後は、もう何がなんだか分からなくて、

独りで真っ暗な宇宙空間に放り出されたみたいだった。

とにかく早く死んで彼に会いたいと思った。

 

それでも死ななかったのは、肺がんが発覚してから1年間、

2人で必死で追いかけた「生きている時間」がまだ私には残されていたから。

 

2人で追いかけていたものを、そう簡単に捨てるわけにはいかなかった。

 

1年たった今、このブログを始めたのは、私と同じように混乱し、

恐怖し、とにかく何か救いになるものを求めている誰かがいるから。

 

私が感じたこと、考えたこと、知ったことを出来るだけ書いていこうと思う。

 

二人で必死に追い求めた「生き残るための情報」も、

私たちは実現できなかったけれど、

他の誰かには有効かもしれないから出来るだけ書いていこうと思う。

 

もしかすると何の役にも立たないかもしれない。

でも、きっと気休めにはなると思う。

 

私は今、最愛の人を失って、人生のすべてを失って、

迷い、混乱しているけれど、

それでもあれから1年。

途方もない「恐怖」だけは消えた。

 

だから、この文を読んでいる誰かに伝えたい。

 

「安心してください。」

 

どんなに状況が深刻でも、未来は決定していない。

また、もしすべてを失ったとしても絶望はない。

 

 

あなたが悲観的になれば、その通りの未来は向こうからやってくる。

 

逆に楽観的になりすぎるのもよくない。

 

つまり、未来のことばかり考えない。

 

今のことを考えて。

30分くらい先のことか、せいぜい今日の夜くらいまでのこと。

 

あなたの大切な人が今、同じ地球上で生きている。

それは病気のことにかかわらず、永遠に続くことではない。

 

それはの上ない幸運。

その時間を、悲観や恐怖に費やすのはとてももったいない。

 

今ある幸せを、精一杯だきしめて。