少しずつ日差しが和らいで

秋へ向かってる気がします


日中はそんな気持ちを裏切る暑さで

まだまだ夏と思ったり…




最近というか

子供たちが小学生になった頃から

思い始めてた事があります



特に今の中堅社会人以降の若い世代の方々ですが

事細かに方法を伝えないと動けない

また

何でも資格化や認定化されて来ているように思います


何かをする時に

セミナーを受け 

誰かが筋道を付けた方法に倣い

認定を受けなければ

どうやって良いか思い付かない現象です



なので

セミナーや資格事業が

ビジネスとして成り立ってきているのですが

かなり職の隙間の資格が多種多様に増えてきました



確かに

迷いのある方には

セミナーがあることで

事細かに教えてもらえて

助かり優しい手段ですし


資格があれば

分かりやすく

何をする人か伝えやすくなります



ですが

教える内容が

考え方まで細かく行き届いているが故に

その方法だけが正しいと正解だと

思ってしまいがちです


マニュアルが無いと

なぜか不安に

もしかして違うんじゃないかと

やった結果にたどり着くまでに

動けなくなってしまいます



最終目的や成果を得るには

いくつもの方法が必ずあって

その人が考える視点や道筋は個々に違って

それでも結果にたどり着くなら

その考え方ややり方は自由であって良いはずです


個々を認めよう 違いがあって良いじゃない

なんて言われ始めた昨今の流れと

非常に矛盾を感じています



なぜ

子供たちが小学生の頃思ったかというと

特に算数の教科書や問題と正解の付け方に

違和感を感じたからです


算数は

社会的日常生活をよりスムーズに

送りやすくするために必須です

算数や数学の考え方は

生きていく上で

迷いや悩みを解決するのに

最も必要なものだと思っています


最近の教科書は本当に分かりやすく

読めば

どんな風に解けば良いか

手順から細かく書いてありました


そこに書いてある思考の順番で無いと

解けないかのように説明があります


それはきっと

思考能力

物事に対して

深く考える力を教えたいという教育から

考える道筋から教えなければに

変わっていったと思うのですが


テストでは

問題の解き方の過程から

○Xを付けられるようになりました


本当は

こういう考え方で正解に至ったのかと

その考え方を認め

ここまでは良い

ここから間違ったんだよ

とすれば


きっと

子供たちはどんどん考えるように

自分で考えることに不安を持たずに

考えた先の正解にたどり着いた時の達成感も

得られるはず



現場の先生の義務教育の授業に

ちょっとあれ?と思いつつ


マニュアル至高の最近の社会人にも思いを馳せ

人事や新人指導の際によく聞くけど

なんでだろう?と


自分なりに理由を考えてみました

(ちなみにもうその疑問を持つ世代も退職引退です)

(これからは違和感なくすぎるのかもしれません)

(自由思考や枠から外れる考えは通りにくい場合と

すごく認められるかの両極端になるかも)


きっかけは

最近薬の箱に見かけるこれ↓

これは最たるものじゃないですかね


箱の捨て方くらい

好きにしていいじゃん!

こうしなきゃダメなの?って思うじゃん!