春になると
重い上着を脱ぎ
身も心も軽くなった気がして
思い切り深呼吸したくなって…いた
過去形ね…

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数年前から花粉症になり
深呼吸なんて以ての外
全身過敏となってじんましんが出る
憂鬱な季節になった

それでも
桜が満開になると気分が華やぐ
舞い散る桜の木の下は
全てが洗い流される様で一番好きだ

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今回はむかしむかしのお話
とうとう昔話をしたがる歳になったな
と読み流すほどでお願いしたい


企業の研究員として
社長以下 重役達が一同に会する
研究発表に毎年選出され
まっすぐに出世するだろうと
社内の誰もが思っていたという

あらゆる分野に精通するよう
実験技術の取得も
部署を超えてさせてもらっていた
研究論文や学会発表もあった

だが

このまま
こんな生活を続けていられない
どんなに頑張っても
まだ足りない もっともっと  
に応えられない自分は
生きる価値のない人間だと思った

色んな別れがあるたびに
他人からの自分への理想や期待に
添うことができなかったから
みんな離れていったのだとしか
思えなくなっていた

生きることができなくなった

どうやって生きる
どうしたら死ねる
繰り返しの毎日が続いた

でも
死よりも新生活を選んだ
どうやって切り替えられたのか
今でも解らない

退職日には
家族が引越しを手伝ってくれた
荒れまくった生活の現状を見た家族すらも
病んでいるとは気付かず
だらしのなさを責められた
どう言われても何も感じなかった

そんな自分の新天地が
精神科の薬剤師なんて皮肉なものだ
ずいぶん迷った
心を患った者が
同じような人間を救えないからだ

経験してるから理解できると
言われがちだが
理解ではない同情は
一時の安心を得るが
実際は傷を舐めあい共依存となり
必ず共倒れをする

でもこの依頼は
何か必然的な流れなのかもしれないと
思い直し仕事を引き受けた

二十年ほど前の話だ

精神科に老人保健施設と一般内科もある
大きな医療法人だった

まだ鉄格子も高い塀もある時代で
低層階建築だ
飛び降りや異常行動の事故でも
骨折するくらいの高さ

閉鎖病棟と言われる病棟は
すべての扉とエレベーターに鍵がある
さらに
高齢者と男子と女子病棟に分かれる

ほかに
普通の病床形態をとる開放病棟とがある

当時の精神科の調剤量は凄まじく
外来と入院
近隣の介護施設数件に刑務所
業務は多忙を極めた

調剤に慣れた頃
入院患者への服薬指導へも
行くようになった

閉鎖病棟の重い扉をガチャと開けると
床に寝そべりゴロゴロしている人
ふらふら歩き回る人
扉が開いた隙を狙って出ようとする人
初めは圧倒された
数名が自分の元へ
精神病独特な歩き方で
わーっと集られると
恐怖さえ感じた

男子病棟へは男性看護師を伴って行く
身の危険を感じたら逃げられるように
ナースステーションの方向をいつも意識しながら話をする
追いかけて来るので走って逃げたこともあれば
握手会のようになり囲まれたこともある
緊張の連続だった

女子病棟はなごやかのようだが
幻覚と妄想の話に延々と付き合う
かと思えば
エレベーターに乗り込もうとして失敗し
腹を立て椅子を頭上に振り上げ
扉を叩きまくる
女性は一瞬で馬鹿力を出すものだと
思い知った

当時はこうやって問題を起こすと
拘束され
留置場のような独房に入れられる

鉄柵か様子を覗けるガラス窓があり
4畳くらいの広さで
便器が部屋の隅にある
排泄しても自分で流せず
スタッフが確認後
部屋の外にあるレバーで流す
食事は小窓から中へ入れる

現在は人権が守られてるので実際はどうだろうか…
看護師を伴い独房 いや一時個室にも服薬指導に行く
どうしたの?何があったの?
と聞くと
とても淋しそうに子供のように経緯を話してくれる

開放病棟にいる患者は
内科疾患を伴う 鬱や躁鬱の感情障害だ
ある程度話が通じる

それでも病室へ入る時は
気が緩むことはなかった
自ら命を断とうと思い立てば
どんな物でも使ってできるものだと
解り始めたからだ

全ての病棟
毎週十数名の患者を担当していた

何も解らない精神病患者に
薬の説明しても意味がないのではと
外部から問われた事もあった

しかし幻覚や妄想ばかりの方でも
時間になると
ちゃんと待っててくれる

いつもの感謝のしるしだと
自分が持つことができる範囲の
日用品をよく渡してくれた
日常のことやお礼などの手紙も書いてくれてたくさんもらった

みんな十年二十年と
ずっと病院で過ごし
家族の面会もなく
見捨てられた方ばかりだった


患者自身の
日常生活のリズムを付けさせようと
社会適応訓練(SST)の立ち上げにも携わった

朝 昼 夜の時間軸を付ける
服薬指導はもちろんだが

職種を超えて
流行りの曲に簡単な振付をして
毎週決まった日時で 数名でダンス練習
一生懸命みんな覚えてくれた
運動会でそれを披露をしたのは
楽しい思い出となっている

その頃には
精神科患者へのイメージが
すっかり変わっていた

掛け違いや異常に密になった脳
ループから抜け出せず壊れてしまった
心と感情
ほんのちょっとの境目で
鉄格子の内と外になる

一度壊れた心はトラウマとなって
あるきっかけがあれば
相手から
存在を否定されたようで
呆れられたんだと思ってしまう自分が
ひょこっと顔を出す

まさに今存在している自分の価値を
信じることができれば
人は強くなれる
生きていける

大丈夫
今のままのあなたで充分だ