先週の土曜日
水戸文化交流センターで行われた講座を受けに行ってきました
この日、息子の参観日だったんで
そっちもこっちも時間ぎりぎりまでうろうろうろうろ
しまくってました

いやぁ~勉強になりました
12月まで大洗にあります幕末と明治の博物館にてこの方の企画展やっていたんですが
行きそびれていたので助かりましたぁ
こちらの「豊田 芙雄さん」って
今NHKで放送されている「新島八重さん」と同い年なんですって
講座は1時間半
私以外はほぼご高齢のおじさま、おばさま
若い人は興味が無いのでしょうか?
それとも入りにくいのかなぁ??
でもわたしも若かったら一人でスル―してしまうタイプなんで人のことはとやかく言えませんが・・・
この1時間半の講座
文章まとめるの下手な私がお話された通り書きだしたら
1か月ぐらいかかってしまいそうなので
私が素敵
と感じた豊田芙雄さんの言動・伝説ベスト3をご紹介したいと思います
(ランキングではありません、好きなもの3つです)
☆「女子の本分はそんなことにはない」
芙雄さんは生涯一度だけ結婚をなさっています
結婚していましたが旦那さんは国事に奔走していましたので家にいることはほとんどありませんでした
晩年、芙雄さんが記者に「旦那さんとのエピソードは?」と聞かれたところ
「馬で旦那の実家へ結婚の挨拶に行ったこと以外特にない
」
と答えたぐらい2人の時間はほとんどなかったようです
そんな結婚生活はたった4年で終わってしまいます
旦那さんは結婚して4年後京都にて暗殺されてしまうのです
旦那さんの死後、落ち込む芙雄さんには再婚の話が持ち上がります
私なら一緒にいたんだかいなかったんだかわからない旦那のことは忘れ再婚しますが
芙雄さんは「女子の本分はそんなことにはない
」といってお断りしたそうです
その後、芙雄さんは一度も再婚しませんでした
とある学校の教鞭をとったさいに生徒さんに
「結婚は一度嫁いだら最後まで!不幸を共にする覚悟で相手を選べ
」
とお話されたとか。
・・・私にはそんな覚悟はあるか?
ないなぁ・・・
☆「女神様」
芙雄さんいろんな女学校の教論を経て
とうとう日本人初の保母さんになることがきまります(現お茶の水女子大学付属幼稚園)
ドイツ人の「松野クララさん
」から保育というものを学んで現場で試行錯誤しながらも実践していくことになりました
初めての保母さんですから教材もお歌も一から自分で作っていくしかありません、
「ないものは造る」
異国語に詳しい男性が直訳をして歌をつくってみました
それはお遊戯歌とはかけ離れたまるで・・・軍歌・・・
これでは子どもたちは歌えません
そこで芙雄さんは若かれしころからお母様から影響をうけてやりだした歌の経験を生かし
日本語の軟らかさをいかした翻訳をしました
女性ならではの観点でした
そういった功績が認められ鹿児島に幼稚園設立の為に呼ばれます
鹿児島と言えば・・・
そう、西郷さん
西郷さんが尊敬した人物と言えば
水戸藩の偉人「藤田東湖」さん
芙雄さんは藤田東湖さんの姪にあたるので
鹿児島では
「西郷さんが尊敬した東湖さんのご親せき」
∥イコール
『
女神様
』
と・・・言われたとか言われなかったとか
☆「貪欲に学び続ける」
芙雄さんはの「学び」は幼少時代からはじまります
幼少時代
柴田政衛門夫人、母・雪子に手習い
11歳下の弟・政が幼いうちに母が亡くなり面倒をみるようになる(保母の原点)
11~14歳
深作筆子に手習い、裁縫、小笠原流女礼式を
新井源八郎氏母人に穴澤流薙刀を学ぶ
14歳~
父・治兵衛から四書の素読を学び、他の娘に教える
18歳
結婚、結婚後舅と和歌のやり取りなどをし学力向上
夫死後
「夫の遺志を継がねばならじ」と一層勉学に励む
実家に戻ってからは兄・力太郎から学ぶ
29歳
発桜女学校(現・水戸市立五軒小学校)の先生に・・・
いろいろな学校の教壇に立つ
(昭和10年まで教壇に立ち続けた
)
晩年
華道免許取得
、看護師免許取得
、薙刀
の試験も受けなおす
女性が勉強しにくい時代に学ぶことをやめなかった芙雄さん
その学びたいという姿勢を応援してくれた家族親戚
芙雄さんはまわりの環境にも恵まれていました
私たちは学べる環境にいるのに学ぼうとしないのは
怠慢かもしれないですね・・・

豊田 芙雄さん
昭和16年近親者に見守られながら97歳で夫の元へ





