茨城の偉人5 | 歴史嫌いがつくる歴史ブログ

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小中高と社会のテストは赤点・・・そんな私が歴史にはまりなんとなく歴史についてつづってるブログです☆水戸周辺情報もちょいちょいご紹介してます。水戸藩仲間募集です♪

「2010年12月5日」の日記です



↓  ↓  ↓


「藤田東湖さん」

ご紹介します。



まずはお父様から




東湖さんのお父さんは


「幽谷」さんです。


幽谷さんもすごいかたで


藤田家はもともと貧乏な農家で


幽谷さんのおじいさんの代から


小さな古着屋さんを経営していました



でも、あいかわらず貧乏だったのですが



11歳の時



前の水戸藩の偉人で紹介した


立原翠軒さんの門下生になり



立原さんの推薦で


大日本史をつくる「彰考館」に入りました。



最終的にはなんと…



その彰考館の総裁にまでなってしまいます!


どんだけ優秀だったんでしょう…

小さい頃から神童と呼ばれていた人は



やはり違いますね…



しかしながら、師の立原翠軒さんと対立してしまい


立原先生は保守派、幽谷さんは改革派と呼ばれるようになります。




この改革派の激派からのちの「天狗党」が生まれていきます。





さてはて



東湖さんはその幽谷さんの子として生まれます。




ですから東湖さんももちろん改革派でした。



でも東湖さんにはそんなこと関係なかったのかもしれません。




おのれの志のままに信じる道を進んだ東湖さんには



たくさんの人が周りについてきました



会沢正志斎や斉昭公


そして西郷隆盛もその一人でした



西郷さんは『先輩には東湖さんのような人は二人としていない』と話しているほどです




東湖さんの偉大な業績は日本最大の藩校『弘道館』の『弘道館記』の原案を書いたこと



しかしそんなすごい才能も上級武士は成り上がりの下級武士の東湖さんを認めたくないと反発が強まっていきますあせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)




そんな視線を感じつつも斉昭公について行きどんどん出世していく東湖さん












そんな中…






悲劇が襲います





大きな地震が江戸を襲うのです




その日東湖さんは前々から江戸に行ってみたいと話していた年老いた母を連れて江戸に来ていました



マグニチュード7という大きな地震に




一度庭に逃げ出た東湖さん



しかし建物の中に残した母を助けにまた建物の中に戻ってしまうのです





建物の下敷きになりそうな母を助けた東湖さんは助けるだけで精一杯で力つき…代わりに自分が下敷きとなり亡くなってしまうのです…









優秀な人材を失った水戸藩は迷走し




東湖さんの息子、小四郎の時代へと向かっていくのでした…