私が“敗戦間際の参謀本部と参謀”を書こうかなと思ったのはノモンハン事件の拡大を主導した関東軍参謀辻政信と服部卓四郎はノモンハン事件後いったんは責任を問われて左遷されましたが、いくばくもなく参謀本部に復帰してきたことがその理由の一つになっています。
服部卓四郎は昭和15年10月に参謀本部作戦課に栄転しただちに作戦班長となり翌昭和16年7月には作戦課長に昇格し8月には大佐に進級しています。
辻政信はややおくれますが、昭和16年7月にひっぱられて参謀本部員となり、作戦課戦力班長として服部作戦課長を補佐し、太平洋戦争の熱弁をふるい作戦課全体をリードした。
昭和16年夏、不可侵条約を反故にした独ソ戦の開始によって、大本営はその戦略方の新たな決定をせまられる。
昭和15年9月に締結した日独伊軍事同盟にもとづいてソ連を攻撃するか、米英との開戦を覚悟で南方の資源地へ出るか、である。
服部作戦課長はいった。
「いま必要なのは、南北いずれにも進出しうる態勢を完整することだ。北にたいしてはドイツ軍の作戦が成功してソ連がガタガタの状態になったら、北攻を開始する。いわゆる熟柿状態を待つ。南方に対しては好機を求めて攻撃を決断する。すわち『好機南進、熟柿北攻』の方針あるのみだ」
若い参謀が反論する。
好機南進かならず米英との戦争となる、独ソ戦の見通しもつかないうちに、日本が新たに米英を相手に戦うなど、戦理背反そのものではないか、と。
辻参謀がとたんに大喝した。
「課長にたいして失礼なことをいうな。課長は広い視野に立っておられるのだ。課長も我輩もソ連軍の実力はノモンハン事件でことごとく承知だ。
現状は関東軍が北攻しても、年内に目的を達成するとはとうてい考えられぬ。ならば、それより南だ。南方地域の資源は無尽蔵だ。この地域を制すれば、日本は不敗の態勢を確立しうる。米英恐るるに足りない」
若い参謀はなおねばる、「米英を相手に戦って、勝算があるのですか」。
辻参謀は断乎としていった。
「戦争というのは勝ち目があるからやる、ないから止めるというものではない。今や油が絶対だ。油をとり不敗の態勢を布くためには、勝敗を度外視してでも開戦にふみきらねばならぬ。いや勝利を信じて開戦を決断するのみだ」
こうして太平洋戦争への道は強力にきりひらかれた。
上記は半藤一利氏の『ノモンハンの夏』より引用いたしました。
ノモンハン敗戦の責任者である服部・辻のコンビが復活してきたこと、そしてノモンハンの敗戦から何も学ぶことなく、石油資源のために戦争するというチョット考えられないような理由で戦争に突入しノモンハン事件とは比較にならない悲惨な敗戦を迎えることになりましたが、ノモンハン事件で勇戦奮闘した須見新一郎氏が陸軍から追われたわけもこの辺にありそうな気がして須見新一郎氏のことを書く前に服部・辻参謀のことを取り上げました。
昨日は都合で更新時間が遅れ、9月12日の日付となってしまいましたが、記事はいつものように火曜日のテーマで書いていますので9月12日は火曜日のテーマと水曜日のテーマの2つの記事になりますが、よろしくお願いいたします。