半藤一利氏の『昭和史1926-1945』を読んでいて思うのは盧溝橋事件が昭和12年7月7日に起こって以来、中国との戦争状態を続け日中戦争を続けたまま結局はアメリカの石油禁輸処置で身動きできない状態で英米など連合国との戦争に突入してしまいました。
この間、1937年(昭和12年)11月から1938年(昭和13年)1月16日までの期間にドイツ大使のトラウトマンが日本と蒋介石との間に立って和平交渉の仲介が行われましたが参謀本部は乗り気になっていたにも関わらず近衛文麿総理大臣は「政府側としては、軍部(参謀本部)がかくの如き拙策をとって(まずいことをやって)講和を急ぐ真意は理解できない」と言って和平工作をつっぱねています。
当時の参謀次長の手記によれば「普通は強硬なるべき参謀本部が弱気で弱気なるべき政府が強硬なのは実に奇怪に感じられる。」としているところからすると泥沼化した戦争を早く止めたいという軍人もいたことが分かります。
戦後近衛文麿は『失われし政治』という本の中で「これは帝国政府は国民政府を相手とせず、帝国と共に提携するに足る振興政権の樹立発展を期待し、それを以(もつ)て両国国交調整を行わんとの声明である。この声明は識者に指摘せられるまでもなく、非常な失敗であった。余自身深く失敗なりしことを認むるものである」としています。
そして1939年(昭和14年)5月には満州国とモンゴル人民共和国と国境をめぐる紛争が大戦争となっていき9月に停戦となりますが、この2年半が経たないうちに太平洋戦争が始まっています。
戦争に次ぐ戦争で国民も国力も疲弊している状態を政治家や軍人は何処まで理解していたのでしょうか、盧溝橋事件の昭和12年7月7日から昭和20年8月15日まで日本は戦争し続けていますが、この間何らかの手段を講じて休戦か停戦状態から和平交渉に持ち込めなかったのでしょうか。
次回はその辺を見ていきます。