私が、このブログで昭和の戦争というテーマで半藤一利氏の『昭和史1926-1945』を紹介し終わっても書いているのは私の中で何と言うか不可解な部分があるからです。

鎖国時代を別にすると幕末から現在に至るまで日本は外国との付き合い方や関わりを過剰に意識して来たのではないだろうか、と思わないでもありません。

 

今年から曜日毎のブログを再開するに当たって『昭和史1926-1945』を読んだ読後感として、何故日本は戦争への道(三国同盟を選択したのか、又これは明日の“失敗の本質”と重なる部分ですが戦争を武力戦一辺倒と考えていたことや終戦工作をソ連だけに頼ったのは何故なのか情報軽視による独善的な作戦指導そして戦争終結に際しての認識の甘さなど数え挙げていけば、この他にもいろいろとありますが先ずは何故戦争への道(三国同盟)を選択したのか、について考えてみたいと思っています。

 

日独伊三国同盟に日本は参加していますが独伊の具体的な協力を戦争中は受けていないばかりか、ドイツがイギリス上陸作戦のための制空権の確保を狙って行われた1940年7月10日~10月31日までの一連の航空戦でイギリスでは9月15日のドイツ空軍の攻撃に対しイギリス空軍は大反撃(バトルオブブリテン)しドイツ空軍に大打撃を与えドイツにイギリス本土上陸を諦めさせていますが、このような情報は勿論日本にももたされているでしょうが、皮肉にもこの翌日、日本は大本営政府連絡会議で同盟締結を決定しています。

 

そしてこのバトルオブブリテンが行われた2日後の9月17日、ドイツのヒトラー総統はイギリス本土上陸作戦の基幹兵力を東方に移動ささせています、このことはイギリス本土上陸作戦から目標はソビエト進攻に切り替わっているわけで日本はこれらのことをどれだけ知っていただろうか、知らなかったのではないでしょうか。

 

独ソ戦の開始はヨーロッパにおける戦局を大きく変えてしまい1942年6月28日に始まったスターリングラード攻防戦でドイツ軍はついにソ連軍に降伏し大戦の転換点となりドイツは敗戦を迎えることになります。

 

三国同盟って一体日本にとってどんなメリットがあったのでしょうね、ドイツが勝ってくれさえすれば、というドイツ頼みがあったのではないでしょうか。