小島直記の「伝記に学ぶ人間学」を紹介しています。
池田成彬の伝記の「29年(1929・昭和4年)という年は政治上にも経済上にもなんにも問題はないときである」としているのに対して、アメリカの大暴落や日本では満州某重大事件が国会で追及されたのが昭和4年で軍と統帥権について、前回2月25日の続きで見ていきます。
昭和三年のそれがそういうことで犯人が不問にされたから、満州事変、五・一五事件が起き、二・二六事件がおきた。一連の軍の独走がはじまる。
そういう軍部が行動を起こすということは、統帥大権という天皇の大権の一つです。
軍令大権と統帥大権があります。
統帥大権というのは、戦争をすること、軍令大権というのは、陸軍の制度を決め、人事を決めるということです。これは天皇の大権で、天皇しかできない。
天皇が裁可してはじめてだれを大将にするかということもできるし、師団を増やすことも作戦行動もできるわけです。
そうすると、天皇の大権を持たない関東軍の軍人がやったから、これは大権に対する違反です。統帥権干犯(かんぱん)というたいへんな問題です。
現に右翼は浜口雄幸を統帥権干犯ということで、ピストルで撃ちました。
佐郷屋留雄がピストルで撃って、そのキズのために浜口さんはとうとう亡くなられましたけれども、その理由は統帥権干犯、つまり、総理大臣が統帥権に触れた、統帥権を勝手にしたということです。
なぜかというと、ロンドン軍縮条約に判を押した、そういうことをやったのは、統帥権に触れた。軍令大権を侵したということで、殺されました。
しかるに満州にいた関東軍は張作霖の爆死以来、満州事変のきっかけとか、ずっとありますが、全部中央政府はそれを押えることができない。
しかも、それをすぐやめろというのを全部無視して、どんどん現地軍が独走したでしょう。
そういう大問題が初めて国会で追及されたのが、昭和四年です。
昭和4年(1929年)はアメリカはウォール街の大暴落があり、日本では満州某重大事件(張作霖爆殺事件)に対して国会での追求が行わていますが、ロンドン軍縮会議、浜口雄幸遭難事件は昭和5年ですが、統帥権は天皇大権であり統帥権の独立ということから当時の政府は軍への指揮権がなく関東軍の独断専行を抑えることが出来ませんでした。