日本軍の組織論的研究としての「失敗の本質」を読み終わって感じた、戦略とは何だろうか、ということについて2回に亘って取り上げてきましたが、日本はなぜ戦争という手段を選択したのか、その見込み・成算はあったのだろうか、という疑問を感じます。

 

戦略とは、「なぜ・何のため」という目的から目指すべき標・ゴールという目標を定め、その目標達成に向けての総合的な運用法とするなら当時の日本はとるべき戦略を、どのように捉えていたのでしょうか。

 

開戦から3カ月目の昭和17(1942)3月7日、大本営政府連絡会議は新たな基本方針として、「爾後ノ戦争指導ノ大綱」を決定します。

英ヲ屈服シ、米ノ戦意ヲ喪失セシムル為、引キ続キ既得ノ戦果ヲ拡充シ、長期不敗ノ政戦態勢ヲ整ヘツツ、機ヲ見テ積極的ノ方策ヲ講ズ

というものです。

 

この大綱からは既得の戦果拡充と南方資源地域を確保し機を見て積極的攻勢を図るということで戦争を有利なうちに終結させる具体的な方策はうかがえないように思います。

 

昭和14(1942)年9月1日、ドイツのポーランド侵攻によって第二次世界大戦が始まり、翌年、ドイツがフランスを占領、日本はドイツ占領下のヴイシー政権と協定を結び北部仏印、南部仏印に進駐、南方資源地帯の確保が目的でしたが結果、イギリス、オランダ、アメリカが対日資産を凍結し、アメリカは対日石油輸出を全面禁止します。

 

このような経緯からして、日本は仏印に進駐しても戦争にはならないといった都合のよい解釈をしていたようで、このあたりは主観と独善による希望的観測に依存した戦略と言えるのではないでしょうか。