「失敗の本質」を読み終わって感じたことは戦略とは、ということを突き詰めていくと目的と目標の設定に深く関わっているのではないだろうか、と思えてきました。
それは前回10月18日にも書きましたが、日米開戦前の「対米英蘭戦争終末促進に関する腹案」に見られるように南方資源地帯を確保して長期戦に持ち込めば、米国の戦意喪失、その結果として講和に持ち込めるのでは、という主観と独善から希望的観測に依存したものになっていたのではないでしょうか。
「失敗の本質」では、日本軍の失敗は戦略目的が戦争の現実と合理的論理によって漸次破壊されてきたプロセスであったして、このプロセスは、戦争の開始と終結の目標があいまいであることを指摘しています。
ここで目的という言葉が出てきますが、目的と目標というのは結構よく聞く言葉で同じようにも思えますが目的が定まれば目標は自ずと明確になってきます。
それは目的が、「なぜ・何のために」にそれをやるのか理由や意義であり、目標は目的達成のための目指すべき標・ゴールということになります。
それでは戦略とは、目的と目標とどのように関わっているのでしょうか。
当時、日本の目的とは何だったのでしょうか、このところが曖昧なままだったために目指すべき目標も明確なものとなり得ませんでした。
目指すべき標・ゴールイメージと現状とのギャップを埋める方策、これを戦略というのではないでしょうか。
戦略論のバジル・リデル=ハートによれば戦略とは、政治目的を達成するために軍事的手段を配分・適用する術と捉えています。
この点から言えば日本は、その目的の曖昧さから南方資源地帯を確保し長期戦に持ち込めば何とかなる、という主観と独善から希望的観測に依存したことが戦略不在を招いた、という見方ができるようにも思います。