ゴールデンウイーク期間中は、このブログも休ませていただき6日から更新する予定が都合で今日から、いつも通りのテーマで更新していきます。
月曜日のテーマは“昭和の戦争”ということで1926年(大正15年1月1日~12月25日・昭和元年12月25日~12月31日)から1945年(昭和20年)までの昭和史とその結論について、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から前回4月25日の続きでみていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
よく「歴史に学べ」といわれます。
たしかに、きちんと読めば、歴史は将来にたいへん大きな教訓を投げかけてくれます。
反省の材料を提供してくれるし、あるいは日本人の精神構造の欠点もまたしっかりと示してくれます。
同じような過(あやま)ちを繰り返させまいということが学べるわけです。
ただしそれは、私たちが「それを正しく、きちんと学べば」、という条件のもとです。
その意思がなければ、歴史はほとんど何も語ってくれません。
この十五回にわたる授業を終わるに際して、では昭和史の二十年がどういう教訓を私たちに示してくれたかを少しお話ししてみます。
第一に国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない。
ひとことで言えば、時の勢いに駆り立てられてはいけないということです。
熱狂というのは理性的なものではなく、感情的な産物ですが、昭和史全体をみてきますと、なんと日本人は熱狂したことか。
マスコミに煽(あお)られ、いったん燃え上がってしまうと熱狂そのものが権威をもちはじめ、不動のもののように人びとを引っ張ってゆき、流してきました。
結果的には海軍大将米内光政が言ったように〝魔性(ましょう)の歴史〟であった、そういうふうになってしまった。
それはわれわれ日本人が熱狂したからだと思います。
対米戦争を導くとわかっていながらなんとなしに三国同盟を結んでしまった事実をお話しました。
良識ある海軍軍人はほとんど反対だったと思います。
それがあっという間に、あっさりと賛成に変わってしまったのは、まさに時の勢いだったのですね。
理性的に考えれば反対でも、国内情勢が許さないという妙な考え方に流されたのです。
また、純軍事的に検討すれば対米英戦争など勝つはずのない戦争を起こしてはならない、勝利の確信などまったくないとわかっていたのですから、あくまでも反対せねばならなかったし、それが当然であったのに、このまま意地を張ると国内戦争が起こってしまうのではないか、などの妙な考えが軍の上層部を動かしていました。
昭和天皇が『独白禄』のなかで、「私が最後までノーと言ったならばたぶん幽閉(ゆうへい)されるか、殺されるかもしれなかった」という意味のことを語っていますが、これもまた時の流れであり、つまりそういう国民的熱狂の中で、天皇自身もそう考えざるを得ない雰囲気を感じていたのです。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
“昭和の戦争”というテーマは「昭和史1926―1945」を基にしたもので、この本の紹介・引用が一通り終われば1926~1945年の昭和史に私なりに、いろいろと感じたことを取り上げる予定にしていますが、この国民的熱狂というのは、日露戦争に勝利した日本が第一次世界大戦の欧米列強による覇権勢力争いを横目に見ながら列強の仲間入りを目指したことに端を発したものという見方が出来るのでは、と思います。
月曜日のテーマは“昭和の戦争”ということで1926年(大正15年1月1日~12月25日・昭和元年12月25日~12月31日)から1945年(昭和20年)までの昭和史とその結論について、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から前回4月25日の続きでみていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
よく「歴史に学べ」といわれます。
たしかに、きちんと読めば、歴史は将来にたいへん大きな教訓を投げかけてくれます。
反省の材料を提供してくれるし、あるいは日本人の精神構造の欠点もまたしっかりと示してくれます。
同じような過(あやま)ちを繰り返させまいということが学べるわけです。
ただしそれは、私たちが「それを正しく、きちんと学べば」、という条件のもとです。
その意思がなければ、歴史はほとんど何も語ってくれません。
この十五回にわたる授業を終わるに際して、では昭和史の二十年がどういう教訓を私たちに示してくれたかを少しお話ししてみます。
第一に国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない。
ひとことで言えば、時の勢いに駆り立てられてはいけないということです。
熱狂というのは理性的なものではなく、感情的な産物ですが、昭和史全体をみてきますと、なんと日本人は熱狂したことか。
マスコミに煽(あお)られ、いったん燃え上がってしまうと熱狂そのものが権威をもちはじめ、不動のもののように人びとを引っ張ってゆき、流してきました。
結果的には海軍大将米内光政が言ったように〝魔性(ましょう)の歴史〟であった、そういうふうになってしまった。
それはわれわれ日本人が熱狂したからだと思います。
対米戦争を導くとわかっていながらなんとなしに三国同盟を結んでしまった事実をお話しました。
良識ある海軍軍人はほとんど反対だったと思います。
それがあっという間に、あっさりと賛成に変わってしまったのは、まさに時の勢いだったのですね。
理性的に考えれば反対でも、国内情勢が許さないという妙な考え方に流されたのです。
また、純軍事的に検討すれば対米英戦争など勝つはずのない戦争を起こしてはならない、勝利の確信などまったくないとわかっていたのですから、あくまでも反対せねばならなかったし、それが当然であったのに、このまま意地を張ると国内戦争が起こってしまうのではないか、などの妙な考えが軍の上層部を動かしていました。
昭和天皇が『独白禄』のなかで、「私が最後までノーと言ったならばたぶん幽閉(ゆうへい)されるか、殺されるかもしれなかった」という意味のことを語っていますが、これもまた時の流れであり、つまりそういう国民的熱狂の中で、天皇自身もそう考えざるを得ない雰囲気を感じていたのです。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
“昭和の戦争”というテーマは「昭和史1926―1945」を基にしたもので、この本の紹介・引用が一通り終われば1926~1945年の昭和史に私なりに、いろいろと感じたことを取り上げる予定にしていますが、この国民的熱狂というのは、日露戦争に勝利した日本が第一次世界大戦の欧米列強による覇権勢力争いを横目に見ながら列強の仲間入りを目指したことに端を発したものという見方が出来るのでは、と思います。