1945(昭和20)年8月9日、ソ連の対日参戦の報を受けた鈴木貫太郎首相は戦争の始末をつける決意のもと最高戦争指導会議を開き戦争終結について各員の意見を求めますが会議の議論について半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から前回11月23日の続きを紹介いたします。

以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より

会議は重い沈黙で誰もしゃべらなくなってしまいました。
まあ、原爆にしろソ連参戦にしろ、考えてもみないような鉄槌を二つも頭からくらったのですから、ほとんどの人がどうしていいかわからない状態だったのでしょう。

その時、米内海相が口火を切りました。
「黙っていてはわからないではないか。どしどし意見を述べたらどうだ。もしポツダム宣言受諾ということになれば、無条件で鵜呑みにするか、それともこちらから希望条件を提示するか、それを議論しなければならぬと思う」

この発言のおかげで、まずポツダム宣言を受諾する、という前提ができてしまったのです。

それを踏まえたうえで「どのように受諾するのか」を議論しようというのです。
この瞬間にポツダム宣言受諾が決定し、それ以外の戦争終結の方策を探るなどということは一切飛んでしまったと言っていいと思います。

そして阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣も、梅津美治郎(うめずよしじろう)参謀総長も、豊田副武(とよだそえむ)軍令部総長も、これには反論せず、発言をはじめました。

ポツダム宣言には、日本の降伏の条件が細々(こまごま)と書かれています。
定訳は長すぎるしかえって煩雑になりますので、結論のところをかいつまんで申し上げます。

まず、世界征服の挙にでた権力および勢力の永久除去、です。
以下、日本本土の軍事占領。本州、北海道、九州および四国のほかの領土没収。外地の日本軍隊の完全撤収。
戦争犯罪人の処罰と民主主義的傾向の復活強化。巨大産業不許可(財閥解体)。
連合軍の撤収は平和的な、かつ責任のある政府ができあがった時、というものでした。

一番の問題は、最初の「世界征服の挙にでた権力および勢力」というところです。
これがイコール天皇制ということではあるまいか、という根本的な疑問であり、懸念なのです。
それが最高戦争指導会議での論議の最大のテーマになったわけです。


上記は
半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。

この会議において戦争終結に向けてポツダム宣言を受諾する方向には動きだしますが「世界征服の挙にでた権力および勢力」ということに対しての疑問や懸念をどうするか、が大きな論点となっていきます。
次回はポツダム宣言を受諾するための条件についてみていきます。