作家、小島直記が「財界」記者の伊藤肇と出会い付き合いを深めていくなかでの出来事について、小島直記氏の「伝記に学ぶ人間学」から前回10月24日の続きで引用・紹介いたします。
以下、小島直記氏の「伝記に学ぶ人間学」より
そういう場合、私は親友と必ずギリギリのところで喧嘩をします。
先ほど申し上げた静岡の経営者とは、売文稼業、あるいはペン一本、月給をもらいながら書くという問題で、大喧嘩をしました。
伊藤君の場合は、死体解剖と生体解剖ということで喧嘩をしました。
私は歴史の世界、伝記の世界に材料をとって書いていますが、それを伊藤君は死体解剖だと言うんです。
なるほど、そういうこともあるな、うまいことを言うと思いました。
ところが、それから先がいけません。
彼は財界記者として、時めく財界人と会って、それを批判することを生体解剖だと言って、生体解剖のほうがいい、死体解剖はつまらないと言うわけです。
「小島さんも、早く死体解剖なんかやめてしまって、生体解剖にしなさいよ」と言うので、私はこん畜生と思って、断乎として「違う」と言いました。
これは絶対に承知しない。
何とかしてこいつをそれがくだらん議論であることがわかるような男にしなければいけないと思って、「そうか。ちょっとこれを読んでみないか」と言って、自分の大事な最初の『言志四録』を彼にやりました。
彼がそれを読んだかどうかあまり聞いていませんが、とにかく渡しました。
そのうち伊藤君が死んでしまいました。もう九年目になりました。
私は葬式の翌日に、ヨーロッパに行ったんです。
だいたい毎年、一ぺん行きますが、たまたまそのときは伊藤君の葬式の翌日に行きました。
そのとき、伊藤君には前の文庫本をやりましたから、新しく文庫本を買って、持っていきました。
そして書いた旅行記がこの『私と言志四録』です。伊藤君のことがいっぱい出てきます。
ことあるごとに、死んだ友達のことを思い出し、そして『言志四録』のことを思い出す。
上記は小島直記氏の「伝記に学ぶ人間学」より引用いたしました。
伊藤肇は昭和55(1980)年に亡くなっていますが、上記から小島直記と伊藤肇の付き合いというよりも友情の深さがうかがえるようですね、それだけに小島直記としては伊藤肇に分かって欲しい気持ちがあったのでしょうね。
小島直記と伊藤肇が人物論(死体解剖か生体解剖か)で喧嘩した後でしょうが伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」によれば安岡正篤師を囲む勉強会を立ち上げ『言志四録』の講義も受けています。
以下、小島直記氏の「伝記に学ぶ人間学」より
そういう場合、私は親友と必ずギリギリのところで喧嘩をします。
先ほど申し上げた静岡の経営者とは、売文稼業、あるいはペン一本、月給をもらいながら書くという問題で、大喧嘩をしました。
伊藤君の場合は、死体解剖と生体解剖ということで喧嘩をしました。
私は歴史の世界、伝記の世界に材料をとって書いていますが、それを伊藤君は死体解剖だと言うんです。
なるほど、そういうこともあるな、うまいことを言うと思いました。
ところが、それから先がいけません。
彼は財界記者として、時めく財界人と会って、それを批判することを生体解剖だと言って、生体解剖のほうがいい、死体解剖はつまらないと言うわけです。
「小島さんも、早く死体解剖なんかやめてしまって、生体解剖にしなさいよ」と言うので、私はこん畜生と思って、断乎として「違う」と言いました。
これは絶対に承知しない。
何とかしてこいつをそれがくだらん議論であることがわかるような男にしなければいけないと思って、「そうか。ちょっとこれを読んでみないか」と言って、自分の大事な最初の『言志四録』を彼にやりました。
彼がそれを読んだかどうかあまり聞いていませんが、とにかく渡しました。
そのうち伊藤君が死んでしまいました。もう九年目になりました。
私は葬式の翌日に、ヨーロッパに行ったんです。
だいたい毎年、一ぺん行きますが、たまたまそのときは伊藤君の葬式の翌日に行きました。
そのとき、伊藤君には前の文庫本をやりましたから、新しく文庫本を買って、持っていきました。
そして書いた旅行記がこの『私と言志四録』です。伊藤君のことがいっぱい出てきます。
ことあるごとに、死んだ友達のことを思い出し、そして『言志四録』のことを思い出す。
上記は小島直記氏の「伝記に学ぶ人間学」より引用いたしました。
伊藤肇は昭和55(1980)年に亡くなっていますが、上記から小島直記と伊藤肇の付き合いというよりも友情の深さがうかがえるようですね、それだけに小島直記としては伊藤肇に分かって欲しい気持ちがあったのでしょうね。
小島直記と伊藤肇が人物論(死体解剖か生体解剖か)で喧嘩した後でしょうが伊藤肇の「喜怒哀楽の人間学」によれば安岡正篤師を囲む勉強会を立ち上げ『言志四録』の講義も受けています。