沖縄戦が終結し日本は、いよいよ追い詰められていましたが圧倒的攻勢のアメリカの当時の事情について、いつものように半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から前回8月24日の続きで先ずは月曜日のテーマ“昭和の戦争“の流れをみていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
ところで問題はアメリカに起きました。
ドイツ降伏後のヨーロッパの処理をめぐっていろいろ交渉しているうちに、ソ連がアメリカやイギリスと協調する気持ちなどこれっぽっちもなく、取れるものは全部取っていくという非常に横暴な国であることが嫌というほどわかってきます。
したがってこの時点まできて、ヤルタでの決定はあるものの、対日戦争にソ連の力など借りる必要はないと思いはじめたのです。
となるとアメリカはなんとかソ連参戦前に日本を降伏させたい。
が、日本は連合国側の無条件降伏政策を信じて、沖縄でも硫黄島でも徹底的に戦い、今度は本土決戦でも同じように頑張るつもりらしい。
そこでアメリカは、ソ連が入る前になんとか日本を降伏させる手立てはないものかと考えます。
そこに原子爆弾が登場してくるのです。
さて原子爆弾に、ここで少しふれたいと思います。
膨大な費用と人間を投入して研究や実験を重ねた結果、これまで研究室では核分裂の実験に成功しました。
が、爆弾にした場合にほんとうに破裂するのかどうか、いわゆる「原爆実験」はされていませんでした。
そこで1945年(昭和20)7月16日、ニューメキシコ州アラモゴードで人類初の原爆実験が行なわれたのです。
しかもこれがまさに成功しました。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
1945(昭和20)年7月にポツダム会談が行われ米、英、中華民国の三ヵ国による「ポツダム宣言」が発表され三ヵ国代表のサインはトルーマンによって書き上げられたもので、それには太平洋戦争の勝利をソ連抜きで行おうという意図があったようです。
しかし、当初7月17日にスターリンと会談していますが、その時はスターリンから8月15日に対日参戦するということを聞かされ、これで戦争が終わると見込んでいたところ、7月21日に原爆実験成功の詳しい報告を受け取り、その威力のすさまじさを知ると態度を一変したとされています。
何れにしろ、ドイツ降伏後と同じで日本降伏を睨んでの大国のさや当ての果てに原爆というものが姿を現してきたと言えるようにも思います。
原爆投下については、この後の「昭和史1926―1945」から引き続きみていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
ところで問題はアメリカに起きました。
ドイツ降伏後のヨーロッパの処理をめぐっていろいろ交渉しているうちに、ソ連がアメリカやイギリスと協調する気持ちなどこれっぽっちもなく、取れるものは全部取っていくという非常に横暴な国であることが嫌というほどわかってきます。
したがってこの時点まできて、ヤルタでの決定はあるものの、対日戦争にソ連の力など借りる必要はないと思いはじめたのです。
となるとアメリカはなんとかソ連参戦前に日本を降伏させたい。
が、日本は連合国側の無条件降伏政策を信じて、沖縄でも硫黄島でも徹底的に戦い、今度は本土決戦でも同じように頑張るつもりらしい。
そこでアメリカは、ソ連が入る前になんとか日本を降伏させる手立てはないものかと考えます。
そこに原子爆弾が登場してくるのです。
さて原子爆弾に、ここで少しふれたいと思います。
膨大な費用と人間を投入して研究や実験を重ねた結果、これまで研究室では核分裂の実験に成功しました。
が、爆弾にした場合にほんとうに破裂するのかどうか、いわゆる「原爆実験」はされていませんでした。
そこで1945年(昭和20)7月16日、ニューメキシコ州アラモゴードで人類初の原爆実験が行なわれたのです。
しかもこれがまさに成功しました。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
1945(昭和20)年7月にポツダム会談が行われ米、英、中華民国の三ヵ国による「ポツダム宣言」が発表され三ヵ国代表のサインはトルーマンによって書き上げられたもので、それには太平洋戦争の勝利をソ連抜きで行おうという意図があったようです。
しかし、当初7月17日にスターリンと会談していますが、その時はスターリンから8月15日に対日参戦するということを聞かされ、これで戦争が終わると見込んでいたところ、7月21日に原爆実験成功の詳しい報告を受け取り、その威力のすさまじさを知ると態度を一変したとされています。
何れにしろ、ドイツ降伏後と同じで日本降伏を睨んでの大国のさや当ての果てに原爆というものが姿を現してきたと言えるようにも思います。
原爆投下については、この後の「昭和史1926―1945」から引き続きみていきます。