昭和20年6月22日の最高戦争指導会議において日本の指導者の目がはじめて和平の方向に向いたことは前回に触れましたが、その後の具体的な動きについて半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から前回8月10日の続きで引用・紹介いたします。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
その同じ日、沖縄戦は日本軍の壊滅をもって終了しました。
それが国民に知らされたのは、3日後の6月25日でした。
新聞はこの時、「玉砕」の言葉を使わず、「軍官民一体の善戦敢闘3ヵ月、20日敵主力に全員最後の攻勢」と報じました。
戦死10万9千人、ほかに市民10万人が亡くなりました。
日本の指導者がもっと早く和平工作に向かっていれば、という嘆きはありますが、尊い犠牲というほかはありません。
さて和平に目が向いたといっても、それを発表して、ただでさえ戦争に嫌気がさしている国民がふにゃふにゃになっては困りますから、表向きは依然として「最後の一兵まで」が叫ばれ、戦時緊急措置法と国民義勇兵役法が議会を通り、一億国民が残らず兵隊さんになってしまいます。
全国で村民総出、女性も竹槍訓練をはじめます。
軍需工場で働いていた僕らはすでに少国民の「戦士」ですから、今さらどうということではありませんでしたが。
ここまでが、いわゆる「秘話」めいた話でしたが、ご存じのように、これからの日本のトップは、すでに敵に回っているソ連を仲介の和平工作という、およそがっかりするような情けないことに全力を傾注します。
しかし、ソ連はすでに日本に中立条約廃棄を通告してきているのですよ。
また2月のヤルタで、ソ連はドイツ降伏の3ヵ月後に日本を攻撃することをイギリスもアメリカも承知していたのですから。
ソ連にすれば、まだ日本が強力な軍隊をもっていると思っていますから、対ドイツ戦で疲弊した軍備を回復するのに時間があればあるほどいいわけで、なんだかんだと日本からの依頼の返事を引き延ばします。
日本が最後まで戦争を続けてくれれば、参戦の機会があるわけで、仲介に入る気持ちなどまったくありません。
つまり日本は、当てにならない人(スターリン)を当てにして、和平を夢見ていたわけです。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
日ソ中立条約については1945(昭和20)年4月5日にソ連より破棄通告がなされていますが、条約は有効期間は5年であり、その満了1年前までに両国のいずれかが廃棄を通告しない場合は、さらに次の5年間、自動的に延長されるものとされていて、日ソ中立条約の効力発生が1941年4月25日ということからすればソ連より廃棄通告があっても1946年4月までは有効ということがソ連に和平の仲介を期待することになったようです。
沖縄戦については火曜日の「失敗の本質」で取り上げることにしています。
次回は和平工作については、もう少し先でみていくことにして、ドイツ降伏後の動きを「昭和史1926―1945」より見ていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
その同じ日、沖縄戦は日本軍の壊滅をもって終了しました。
それが国民に知らされたのは、3日後の6月25日でした。
新聞はこの時、「玉砕」の言葉を使わず、「軍官民一体の善戦敢闘3ヵ月、20日敵主力に全員最後の攻勢」と報じました。
戦死10万9千人、ほかに市民10万人が亡くなりました。
日本の指導者がもっと早く和平工作に向かっていれば、という嘆きはありますが、尊い犠牲というほかはありません。
さて和平に目が向いたといっても、それを発表して、ただでさえ戦争に嫌気がさしている国民がふにゃふにゃになっては困りますから、表向きは依然として「最後の一兵まで」が叫ばれ、戦時緊急措置法と国民義勇兵役法が議会を通り、一億国民が残らず兵隊さんになってしまいます。
全国で村民総出、女性も竹槍訓練をはじめます。
軍需工場で働いていた僕らはすでに少国民の「戦士」ですから、今さらどうということではありませんでしたが。
ここまでが、いわゆる「秘話」めいた話でしたが、ご存じのように、これからの日本のトップは、すでに敵に回っているソ連を仲介の和平工作という、およそがっかりするような情けないことに全力を傾注します。
しかし、ソ連はすでに日本に中立条約廃棄を通告してきているのですよ。
また2月のヤルタで、ソ連はドイツ降伏の3ヵ月後に日本を攻撃することをイギリスもアメリカも承知していたのですから。
ソ連にすれば、まだ日本が強力な軍隊をもっていると思っていますから、対ドイツ戦で疲弊した軍備を回復するのに時間があればあるほどいいわけで、なんだかんだと日本からの依頼の返事を引き延ばします。
日本が最後まで戦争を続けてくれれば、参戦の機会があるわけで、仲介に入る気持ちなどまったくありません。
つまり日本は、当てにならない人(スターリン)を当てにして、和平を夢見ていたわけです。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
日ソ中立条約については1945(昭和20)年4月5日にソ連より破棄通告がなされていますが、条約は有効期間は5年であり、その満了1年前までに両国のいずれかが廃棄を通告しない場合は、さらに次の5年間、自動的に延長されるものとされていて、日ソ中立条約の効力発生が1941年4月25日ということからすればソ連より廃棄通告があっても1946年4月までは有効ということがソ連に和平の仲介を期待することになったようです。
沖縄戦については火曜日の「失敗の本質」で取り上げることにしています。
次回は和平工作については、もう少し先でみていくことにして、ドイツ降伏後の動きを「昭和史1926―1945」より見ていきます。