日本経済の高度成長の歴史的意義を問う座談会ということで、当時の経済官庁(経済企画庁)関係出身の方々(宮崎勇、内野達郎、香西泰)三氏による1983年1月に行われた座談会から所得倍増計画と高度成長に関係する一部分を「高度成長期の証言」より前回6月18日の続きで高度成長要因について引用・紹介いたします。

以下、
「高度成長期の証言」より

宮崎 昭和30年ごろに戦前の水準に日本経済は戻ってから、ご承知のように毎年毎年といっていいほど成長屈折論が出てくる。
つまり戦前の水準に日本経済は戻ったので、これまでのような高い成長率は実現できないだろう。

一部略

当時は私を含めて多くの人たちはこんなに成長するとは思わなかったんじゃないかと思います。
私はその理由として三つぐらい挙げたいと思います。

一つは国際環境が日本の成長にとって非常にプラスになっていたこと。
第二次大戦後、多くの国が完全雇用を経済政策の一つの大きな目標にしていて、しかも戦争の混乱が終息するという意味で、その政策の採用がわりあいみんなに素直に受け入れられたと思います。

その完全雇用政策を実現するために国際的にはIMF体制とか、ガット体制ができて、戦前のように一国の政策が他国に悪影響を与えることをなるべく排除しようということで、そういう体制が出来上がった。
そういう体制のなかで、輸出を中心にした日本の経済成長はわりに順調に伸びていったということが、国際環境としては一番目に挙げられるのじゃないか。

もちろん日本が直接いろいろの戦火に巻き込まれることはなくて、むしろ朝鮮動乱の場合などは神風的な恩恵を受けたという点もありますが、概して国際環境が日本の成長にとってプラスであったということが第一にあると思います。

第二には、日本の戦後における制度的な改革が貢献していると思います。
これはかって香西さんからは疑問だということも言われましたが、戦前の経済は非常に統制的であって、本来の意味の自由競争がなかった、これは広い意味に解釈してですが。

それが戦後とにかく自由になり、民主的な体制がしかれて、それが制度的に力を発揮するまではある程度の期間が要るわけで、だんだんそれが昭和30年代に入って発揮されるようになったのではないかと思います。
特に企業間の競争、これについてはしばしば日本の競争は過当だと言われますが、競争というのはもともとそういう性格をもつものであって、そうした競争的な環境で経済が成長していった。

もちろんそれをサポートする一般的な労働組合の自由な形成、生産性向上に対する参画ということもあったわけで、そういう国内的な条件が戦前と非常に変わったところが、基本的な成長要因だったという感じです。

第三番目には、先ほどの谷深ければ山高しということですが、特に技術について戦争中に日本の技術水準はかなり後れをとった。
その技術水準の先進国に対するキャッチアップ過程が大きくあったのではないか。
それを可能にする貯蓄の裏付けもあったし、企業家の意欲も強かった。
基本的にはその三つの要因を挙げたいと思います。


上記は
「高度成長期の証言」 高度成長の歴史的意義を問う座談会より引用いたしました。

上記では国際環境のプラス要因と国内要因としての企業間競争そして技術先進国に対するキャッチアップというものを日本経済の成長要因として挙げられていますが、1ドル360円固定平価制度が日本の経済を後押ししたことであり、雇用制度と企業間競争による投資の拡大を指しているものと思いますが次回は、この辺りの事情をみていきます。