東京高等商業学校が渋沢栄一による積極的な支援により、数々の苦難を乗り越え1920(大正9)年に念願の商科大学への昇格を果たしましたが、渋沢栄一が学生に求めたものとは何だったのか、ということを島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」から見ていきます。

以下、
島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」より

渋沢は東京高等商業学校の学生に対し何を期待していたのだろうか。

渋沢は「諸君はあくまでも研精励磨して、実際について学問の要用を示し、なるほど学んだ人でなければ利益がない、と云うことを知らしむるようにせねばならぬ」と述べ、先進の学問をビジネスの実際に応用してみせねばならないことを繰り返し語っていた(「東京高等商業学校仮卒業証書授与式ニ臨ミ演説ス」1885年7月、『伝記資料』第二六巻)。

しかし、大正期になると「忠と孝と云うことは、どうしても大事なことと思うて、智を磨きながらも必ずこれを能く覚悟の底に納めぬと、ついには智恵の進むほど人間が浮薄になり、智恵の進む程人間が狡猾になる」とか、「智恵を進めるに急なる式の教育が、孝の字の光を余程薄らげたと云う嫌は私はあると思います」と、「浮薄」「狡猾」など厳しい言葉を用いて学生の知識偏重傾向を厳しく戒めるようになった(1917年10月、『伝記資料』第四四巻)。

東京高等商業学校の地位の向上にともない、学生の身につけた学問や知識が実際のビジネスに「道理正しく」活用されない懸念を強く抱き始め、渋沢は社会全般への道徳心の欠如を是正しようという行動を起こすようになっていった。


上記は
島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」より引用いたしました。

封建社会の士農工商時代における従来の商人というものとは違って、先進の学識を身につけた経済人が拠るべき行動原理として道徳心という言葉に見られるように渋沢栄一の実業における理念となる論語であり道徳経済合一論につながるもので、ビジネスを行う上での倫理観の必要性を説いたものではないでしょうか。

論語や道徳経済合一論については、この後のところで取り上げることにしています。