渋沢栄一の経済観の変化ということでは鉄道国有化反対を貫き通せなかった理由の一つでもありますが、それまでの自由競争主義から保護主義の是認という経済観の背景について島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」から引用・紹介いたします。
以下、島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」より
渋沢は明治20年代において民間活力・民間資本によって鉄道、港湾、陸運などのインフラ整備を先導していた。
しかしながら日露戦争後の時期になると必要とされるインフラ規模が大きくなり、民間ではまかなえる規模でなくなったことを認識して国家による大規模整備に転じていった。
渋沢はこれまでとってきた民間主導の手法ではもはや対処できないほど国家の政治、経済両面での拡大を認識していた。
国家間の軋轢が強まって、政治、軍事が前面に出てくる世界の状況変化に発言を大きく変化させていった。
すなわち、小さな政府、自由競争原理の貫徹といった古典的な自由主義経済から輸入防圧、国内産業育成といった国家による産業保護政策を認める立場に変化した。
同時に競争重視よりも国際競争に備えるため企業の規模拡大を唱え始めた。
さらに、経済規模が拡大し、経済発展のために必要とされるインフラ規模も飛躍的に拡大したことから、民間から国家へのインフラ整備の移管の必要性を感じ始めていた。
また、朝鮮を日本の経済圏と考える近代日本の共通認識をこれまで以上に強くもつようになっていった。
このような渋沢の経済観の変化が鉄道国有化問題にあたっても意識され、国内鉄道網の統一と「朝鮮経営」のための鉄道整備の必要という理由を重視し、鉄道国有化反対を貫き通せなかったと思われる。
上記は島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」より引用いたしました。
日露戦争は20世紀になって最初の総力戦であったことから鉄道や港湾、陸運なども軍需物資の輸送と言う観点から国家によるインフラ整備の必要性ということがあったのと国際競争による国内産業育成といった国による産業政策が求められるようになったことが、その経済観の変化の背景と言えるように思います。
以下、島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」より
渋沢は明治20年代において民間活力・民間資本によって鉄道、港湾、陸運などのインフラ整備を先導していた。
しかしながら日露戦争後の時期になると必要とされるインフラ規模が大きくなり、民間ではまかなえる規模でなくなったことを認識して国家による大規模整備に転じていった。
渋沢はこれまでとってきた民間主導の手法ではもはや対処できないほど国家の政治、経済両面での拡大を認識していた。
国家間の軋轢が強まって、政治、軍事が前面に出てくる世界の状況変化に発言を大きく変化させていった。
すなわち、小さな政府、自由競争原理の貫徹といった古典的な自由主義経済から輸入防圧、国内産業育成といった国家による産業保護政策を認める立場に変化した。
同時に競争重視よりも国際競争に備えるため企業の規模拡大を唱え始めた。
さらに、経済規模が拡大し、経済発展のために必要とされるインフラ規模も飛躍的に拡大したことから、民間から国家へのインフラ整備の移管の必要性を感じ始めていた。
また、朝鮮を日本の経済圏と考える近代日本の共通認識をこれまで以上に強くもつようになっていった。
このような渋沢の経済観の変化が鉄道国有化問題にあたっても意識され、国内鉄道網の統一と「朝鮮経営」のための鉄道整備の必要という理由を重視し、鉄道国有化反対を貫き通せなかったと思われる。
上記は島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」より引用いたしました。
日露戦争は20世紀になって最初の総力戦であったことから鉄道や港湾、陸運なども軍需物資の輸送と言う観点から国家によるインフラ整備の必要性ということがあったのと国際競争による国内産業育成といった国による産業政策が求められるようになったことが、その経済観の変化の背景と言えるように思います。