さて、このブログの月曜日のテーマ「昭和の戦争」ですが前回は8月11日に更新してから久々の更新となりましたがインパール作戦を推進した牟田口廉也軍司令官について、Wikipediaより、その証言を紹介いたします。

以下、
Wikipediaより

・インパール作戦が敗色濃厚となり部下の藤原岩市参謀に「陛下へのお詫びに自決したい」と相談した(もとより慰留を期待しての事とされる)。これに対し藤原参謀は

「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。

司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。
誰も邪魔したり止めたり致しません。
心置きなく腹を切って下さい。
今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります」

と苦言を呈され、あてが外れた牟田口は悄然としたが自決することなく
、余生をまっとうした。

・インパール作戦失敗後の7月10日、司令官であった牟田口は、自らが建立させた遥拝所に幹部将校たちを集め、泣きながら次のように訓示した。

「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが皇軍か。皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。
兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。
弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。
足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂
があるということを忘れちゃいかん。
日本は神州である。神々が守って下さる…」。

訓示は1時間以上も続いたため、栄養失調で立っていることが出来ない幹部将校たちは次々と倒れた。


上記は
Wikipediaより引用いたしました。

インパール作戦がどんな作戦であったのか、ということは上記の引用を見てもらうのが分かり易いように思います。
次回も
Wikipediaより引用いたします。