軍務官僚としての能力に長けた東条英機と関東軍時代は参謀と副長という関係でしたが折り合わず予備役に編入されてしまいますが、石原莞爾がリーダーであったなら太平洋戦争にどのように対応したか、についてビジネス誌に掲載された東京大学大学院 総合文化研究科 教授山内昌之氏の(「組織人」になれなかった天才参謀の蹉跌 石原莞爾 官僚型リーダーに葬り去られた不遇)を前回5月13日の続きで引用・紹介いたします。

以下、
ハーバード・ビジネスレビュー January 2012より

ではその石原に、戦時のリーダーが務まったかといえば、可能性は十分にあったと私は考える。
たとえば、太平洋戦争において、緒戦の勢いを失って劣勢になりはじめた時に、石原が参謀総長に、海軍山本五十六が軍令部総長にに就任していたら、あゆるいは日中戦争を打開しつつ、対アメリカの終戦工作を多少なりとも有利に進めることが空想的にはできたかもしれない。

泥沼化した日中戦争、開始当初からおよそ勝利は望むべくもなかった太平洋戦争。
このような状況下では、前例を効率的に進めることだけに長けているような秀才型の官僚では解決はおぼつかない。
石原や山本のように、常人には考えもつかないような思い切った戦略を大胆に行なえる人物こそ、打開策を打ち出せたのではないかと思う。


しかし現実的に考えた時、この“歴史のイフ”はかなり成立の確立が低い。
とおいうのも、前述したように石原は組織人として欠陥があり、だれかが上から引き上げてやらない限り、要職に就くことは難しいからである。

ここで一つヒントになるのが、満州事変である。
事変当時の石原の階級は中佐、役職では作戦主任参謀にすぎない。
そんな石原がみずからの構想を実行できたのには、当時上司だった関東軍高級参謀・板垣征四郎の力が大きかった。
板垣は東条と違って優秀な部下と張り合うようなことはせず、鷹揚にすべてを任せるタイプだったようで、そんな上司の下で石原は力を発揮したのである。

ひるがえって東条と石原を見てみると、どうやっても折り合えない最悪の相性だったように思う。
東条ほどの頭脳の持ち主であれば、石原の思想は理解していただろうが、普段の言動からとても組織は任せられないと判断した。
石原のほうは無教養な東条を心底馬鹿にし、関東軍参謀副長時代は「東条上等兵」と侮蔑してはばからなかったという。

陸軍ほどの大組織となれば、関係者間の利害調整などの政治力は欠かせない。
しかし、戦時ともなればそれだけではやっていけないのは明白である。

組織を守り、その意思を体現していく官僚型リーダーと、不確定要素の大きな戦争という状況下で長期的視野に立って大胆な戦略を推進する天才型リーダー――本来であれば、両者が調和した時にこそ、組織のダイナミズムが発揮され、大目標の達成にも近づくことができるのだが、それは組織にとって永遠の課題なのかもしれない。


上記は
ハーバード・ビジネスレビュー January 2012より引用いたしました。

官僚型リーダーと天才型リーダーを調和させる組織というものがあれば一番いいわけですが、官僚型にしろ天才型にしろ一旦組織を統べれば自分と同じタイプを重用することが分かっているだけに組織にとって永遠の課題ということなのかも知れません。

石原莞爾の構想を理解し得る人物が少なくとも周りに何人かいれば太平洋戦争の結果も違ったものになったかも知れませんが石原莞爾の構想はどこまで支持されたのでしょうか、それはある意味で組織とは無縁の草の根の人々に支持されたことを思えばこそ石原莞爾という人材を活かせなかった日本陸軍という組織の問題点を浮き彫りにしたと言えるのではないでしょうか。

今日は以上です。