ノモンハン事件という国境紛争に端を発した日本とソ連の戦闘から現代において情報と外交の実態解明から学ぶべき教訓として前回までの情報活動上の教訓に続き組織構造上の教訓についてビジネス誌に掲載された「失敗の本質」共同執筆者の一人で戦史研究家、杉之尾宜生(孝生)氏の情報敗戦 本当に欧州ノ天地ハ複雑怪奇だったのか引用・紹介いたします。

以下、ハーバード・ビジネスレビュー January 2011(情報敗戦 本当に「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」だったのか・杉之尾宜生)より

スターリンは、国際的には共産主義運動の中枢組織コミンテルンを駆使し、国内的には外務人民委員(外相)ヴャチェスラフ・ミハイロヴィッチ・モロトフと国防人民委員(国防省)クリメント・エフレモヴィッチ・ヴォロシーロフという「二頭立ての馬車」を制御して、これらを一元的かつ有機的に組織化して戦争指導を展開していた。

ひるがえって日本では、陸軍省と外務省とが連携せず、また陸軍中央と関東軍とは円滑な意思疎通がなされず、各組織がひたすら部分最適を追及した。
ソ連のように、中央集権的な国家の最高意思決定機構を構築することが急務であったのに、そのような問題意識はついに提起されることなく、自己革新も具現されなかった。

政府機関ならびに陸海軍に巣食う官僚的な組織体制と分権的なセクショナリズムによって、政府が情報活動を集権的に総合し、全体最適を目指して大局的判断をなす、中央集権的な意思決定組織の構築は阻まれたのである。

スターリンが奇々怪々な国際間のインフォメーションを的確に分析し、国家の命運を判断するインテリジェンスに転換せしめたことは見事である。
スターリンが日独・英仏を巧みに操りながら国防強化と国権伸長を図ったのに対し、日本の最高政治指導者である平沼首相は内閣を放り出してしまった。

ノモンハン事件前後を通じて、平沼首相がどのような情報要求・情報関心を抱いていたかは不明であるが、日ソ両国のトップの情報活用の姿勢には、大きな違いを感じざるをえない。

上記は
ハーバード・ビジネスレビュー January 2011(情報敗戦 本当に「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」だったのか・杉之尾宜生)より引用いたしました。

スターリンが明確な戦略的意図を持って情報要求し、その情報要求に応えられる組織であったのに対して日本は政府と陸軍省また陸軍内でも参謀本部と関東軍など各組織がそれぞれの都合や思惑を優先させたままで組織としての適切な意思決定が出来る状態になく
「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」と言うだけで組織として対応能力のなさを露呈したことに、どれだけ危機感はあったのでしょうか。

危機感ということからすれば全体最適という目的に適う組織になっていない各組織の無責任な組織態勢は、この後も省みられることなかったことが太平洋戦争にもつながっていったと言えるのかも知れません。

今日は以上です。