女性はもちろん男性でも若く見られたいものかも知れませんが、男は実際の年齢よりも老けて見られなければならない、という見方もある話として小島直記氏の「伝記に学ぶ人間学」を紹介・引用いたします。
以下、小島直記氏の「伝記に学ぶ人間学」より
皆様方はいまちょうど男盛りで、自分の老境ということは遠い問題のようにお考えかもしれません。
しかし、別に脅すわけではありませんが、アッというまに歳月がたちます。
私は気持ちは若いつもりでおりますが、すでに五十代の終わりから、人からおじいさんと言われていました。
これは私が非常に老けているからですが、若いころから私は年寄り扱いをされました。
しかし、それは私がショボショボしている、あるいはボソボソしているということではなかろう、という一つの自惚れがありました。
母は、「男というものは、年齢よりも老けて見られなければならない。いつまでも若僧扱いされるのは男の恥だ」
と私に言ってくれたので、それが頭にありました。
だんだん年を取って、自分の老いを他人がどう見ているかということについて、客観的な手ごたえを感じたのは、五十代の終わりに近いころです。
当時、私は神奈川県の逗子に住んでいましたが、あるとき外出していたら、留守宅に近所のご老人方が五、六名お見えになったそうです。
そして、家内におっしゃった用件は、私を老人会の会長に推したいというご相談だったわけです。
家内が笑いながら、「うちの主人をいくつだとお考えでしょうか」と聞くと、「さあ、七十五まではいっておられませんでしょうが、少なくとも六十代は超えておられるでしょう」と言ってくれたそうです。
それが私の五十七か八のころでした。
それから間もなく、ある週刊誌で、もうお亡くなりになりましたが、新田次郎先生と対談をいたしました。
そのとき、新田先生の言葉づかい、それから私に対する態度が、実に懇切、丁重を極めているわけです。
本当に奉られたという感じになって、私は非常に感心してしまいました。
新田先生というと、たいへんな流行作家であられる私の大先輩です。
その大作家、大先輩が、後輩に対して、これほど丁重な態度をおとりになるということは、よほど新田先生は練れたお方、謙虚なお方だと私は感銘深く帰ってきました。
ところが、ある出版社で新田先生を担当している記者がたまたま私の担当でもあったわけです。
その人が対談会のあと、うちに見えて、新田先生のところに行ったら、「小島先生は、ぼくより何年先輩だ?」
とおっしゃったと言われました。
新田先生は明治四十年の生まれです。私は大正八年です。
そこに、かなり差があるのに、先生は私を明治三十年代の生まれだ、日露戦争のころに生まれたと思われたようです。
愕然として、それで私を丁重に扱っていただいたのかと肝に銘じました。
そういうことで、外貌が非常に老けて見られます。
ただ、最近はガクンときましたが、六十代の半ばごろまでは、そう変化がなかったように人から言われました。
けれども、問題はそういうことではなくて、精神の問題です。
精神の衰えが人間としていちばん大事なポイントです。
上記は小島直記氏の「伝記に学ぶ人間学」より引用いたしました。
「男というものは、年齢よりも老けて見られなければならない」という言葉には一家の大黒柱としての責任を、その風貌に刻み込むことで自ずと押し出しというものが身についてくる中で実際の年齢よりも老けて見えるものなのかも知れません。
ただ、老けて見えるのと老け込んでいる違いは小島直記氏の言うところの精神の問題でしょうね。
今日は以上です。
以下、小島直記氏の「伝記に学ぶ人間学」より
皆様方はいまちょうど男盛りで、自分の老境ということは遠い問題のようにお考えかもしれません。
しかし、別に脅すわけではありませんが、アッというまに歳月がたちます。
私は気持ちは若いつもりでおりますが、すでに五十代の終わりから、人からおじいさんと言われていました。
これは私が非常に老けているからですが、若いころから私は年寄り扱いをされました。
しかし、それは私がショボショボしている、あるいはボソボソしているということではなかろう、という一つの自惚れがありました。
母は、「男というものは、年齢よりも老けて見られなければならない。いつまでも若僧扱いされるのは男の恥だ」
と私に言ってくれたので、それが頭にありました。
だんだん年を取って、自分の老いを他人がどう見ているかということについて、客観的な手ごたえを感じたのは、五十代の終わりに近いころです。
当時、私は神奈川県の逗子に住んでいましたが、あるとき外出していたら、留守宅に近所のご老人方が五、六名お見えになったそうです。
そして、家内におっしゃった用件は、私を老人会の会長に推したいというご相談だったわけです。
家内が笑いながら、「うちの主人をいくつだとお考えでしょうか」と聞くと、「さあ、七十五まではいっておられませんでしょうが、少なくとも六十代は超えておられるでしょう」と言ってくれたそうです。
それが私の五十七か八のころでした。
それから間もなく、ある週刊誌で、もうお亡くなりになりましたが、新田次郎先生と対談をいたしました。
そのとき、新田先生の言葉づかい、それから私に対する態度が、実に懇切、丁重を極めているわけです。
本当に奉られたという感じになって、私は非常に感心してしまいました。
新田先生というと、たいへんな流行作家であられる私の大先輩です。
その大作家、大先輩が、後輩に対して、これほど丁重な態度をおとりになるということは、よほど新田先生は練れたお方、謙虚なお方だと私は感銘深く帰ってきました。
ところが、ある出版社で新田先生を担当している記者がたまたま私の担当でもあったわけです。
その人が対談会のあと、うちに見えて、新田先生のところに行ったら、「小島先生は、ぼくより何年先輩だ?」
とおっしゃったと言われました。
新田先生は明治四十年の生まれです。私は大正八年です。
そこに、かなり差があるのに、先生は私を明治三十年代の生まれだ、日露戦争のころに生まれたと思われたようです。
愕然として、それで私を丁重に扱っていただいたのかと肝に銘じました。
そういうことで、外貌が非常に老けて見られます。
ただ、最近はガクンときましたが、六十代の半ばごろまでは、そう変化がなかったように人から言われました。
けれども、問題はそういうことではなくて、精神の問題です。
精神の衰えが人間としていちばん大事なポイントです。
上記は小島直記氏の「伝記に学ぶ人間学」より引用いたしました。
「男というものは、年齢よりも老けて見られなければならない」という言葉には一家の大黒柱としての責任を、その風貌に刻み込むことで自ずと押し出しというものが身についてくる中で実際の年齢よりも老けて見えるものなのかも知れません。
ただ、老けて見えるのと老け込んでいる違いは小島直記氏の言うところの精神の問題でしょうね。
今日は以上です。