ノモンハン事件という1939年(昭和14年)に起きた日ソ武力衝突事件について情報活動上の教訓とは、ということを取り上げています。
情報(インフォメーション)から分析処理(インテリジェンス)への転換・判断についてビジネス誌に掲載された「「失敗の本質」共同執筆者の一人で戦史研究家、杉之尾宜生(孝生)氏の「情報敗戦 本当に欧州ノ天地ハ複雑怪奇だったのか」を前回2月18日に続いて引用・紹介いたします。
以下、ハーバード・ビジネスレビュー January 2011(情報敗戦 本当に「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」だったのか・杉之尾宜生)より
陸海軍、外務省がそれぞれ独自に収集したインフォメーションに接する時、後世の我々は、スターリンの戦略的な意図を、あるいはソ連・外蒙古連合軍の8月攻勢を示唆する「良質の真のシグナル」を判別できる。
しかし、事態の渦中にあって、当時の情報業務の従事者たちには、そのインフォメーションが「真のシグナル」なのか、「(相手側が意図的に流した)偽のシグナル」なのか、あるいは「(トップの情報要求には無関係の情報的に価値のない)ノイズ」なのかを判別することは至難の業である。
したがって、インフォメーションを分析し、インテリジェンスに転換する第三過程は、例外なく優れた情報分析の専門家集団である情報処理機関において実践されなければならない。
では、関東軍司令部の幕僚将校や参謀本部の情報部は、土居明夫がもたらしたソ連軍の大規模な軍事行動を示唆するインフォメーションをどのように分析処理し、インテリジェンスに転換したのであろうか。
参謀本部、関東軍司令部の指導層は、ノモンハン付近におけるソ連・外蒙古連合軍の軍事行動についてのクレムリンの戦略的な意図に関する情報要求も情報関心も持ち合わせていなかった。
それゆえ、インフォメーションの適切性・信頼性・正確性を審査する分析処理という最も基礎的な過程を経ずに、土居の報告は黙殺されたのである。
いずれにしても、収集したインフォメーションを分析処理してインテリジェンスに転換し、トップの情報要求・情報関心に応える情報見積もり・情勢判断をするためには、高度な教育訓練を受けた情報専門家の集団である国家中枢情報機関が育成・整備されていかなければならない。
残念ながら、ノモンハン事件前後の日本には、スターリンが示した「日独二大脅威の回避」に匹敵する戦略的課題を構想するような指導者はいなかった。
独ソ不可侵条約の締結に接した平沼首相が「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」と言い残し、内閣総辞職に至ったことは、日本のトップが直面する対外政策上の重要課題を具体的に構想していなかった証左であろう。
日ソの戦略的対応の賢愚巧拙の格差は歴然たるものがある。
上記は以下、ハーバード・ビジネスレビュー January 2011(情報敗戦 本当に「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」だったのか・杉之尾宜生)より引用いたしました。
インフォメーションとは情報という意味はよく知られていますがインテリジェンスについては一般的にはインフォメーションとの区別は分かり難いこともあって諜報というようなイメージから軍事用語のようにも捉えられています。
しかし、ビジネス・インテリジェンスという言葉もあるように情報に知識を加えて意思決定のための情報考察と言い換えることも出来るのではないでしょうか。
ノモンハン事件当時、ソ連のスターリンの戦略的見地からの情報要求というものに対して日本はトップの情報要求そのものがなく外交的な意味からも戦略観を欠いていましたがインフォメーションを分析処理してインテリジェンスに転換する情報考察自体がなかった、と言えるように思います。
インテリジェンスとは意思決定のための情報考察であり、収集された情報に対する参考知見でもあり、そこから洞察というものが生まれ、その情報考察による優れた洞察力を活用した人物としてW・チャーチルが挙げられます。
今日は以上です。
情報(インフォメーション)から分析処理(インテリジェンス)への転換・判断についてビジネス誌に掲載された「「失敗の本質」共同執筆者の一人で戦史研究家、杉之尾宜生(孝生)氏の「情報敗戦 本当に欧州ノ天地ハ複雑怪奇だったのか」を前回2月18日に続いて引用・紹介いたします。
以下、ハーバード・ビジネスレビュー January 2011(情報敗戦 本当に「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」だったのか・杉之尾宜生)より
陸海軍、外務省がそれぞれ独自に収集したインフォメーションに接する時、後世の我々は、スターリンの戦略的な意図を、あるいはソ連・外蒙古連合軍の8月攻勢を示唆する「良質の真のシグナル」を判別できる。
しかし、事態の渦中にあって、当時の情報業務の従事者たちには、そのインフォメーションが「真のシグナル」なのか、「(相手側が意図的に流した)偽のシグナル」なのか、あるいは「(トップの情報要求には無関係の情報的に価値のない)ノイズ」なのかを判別することは至難の業である。
したがって、インフォメーションを分析し、インテリジェンスに転換する第三過程は、例外なく優れた情報分析の専門家集団である情報処理機関において実践されなければならない。
では、関東軍司令部の幕僚将校や参謀本部の情報部は、土居明夫がもたらしたソ連軍の大規模な軍事行動を示唆するインフォメーションをどのように分析処理し、インテリジェンスに転換したのであろうか。
参謀本部、関東軍司令部の指導層は、ノモンハン付近におけるソ連・外蒙古連合軍の軍事行動についてのクレムリンの戦略的な意図に関する情報要求も情報関心も持ち合わせていなかった。
それゆえ、インフォメーションの適切性・信頼性・正確性を審査する分析処理という最も基礎的な過程を経ずに、土居の報告は黙殺されたのである。
いずれにしても、収集したインフォメーションを分析処理してインテリジェンスに転換し、トップの情報要求・情報関心に応える情報見積もり・情勢判断をするためには、高度な教育訓練を受けた情報専門家の集団である国家中枢情報機関が育成・整備されていかなければならない。
残念ながら、ノモンハン事件前後の日本には、スターリンが示した「日独二大脅威の回避」に匹敵する戦略的課題を構想するような指導者はいなかった。
独ソ不可侵条約の締結に接した平沼首相が「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」と言い残し、内閣総辞職に至ったことは、日本のトップが直面する対外政策上の重要課題を具体的に構想していなかった証左であろう。
日ソの戦略的対応の賢愚巧拙の格差は歴然たるものがある。
上記は以下、ハーバード・ビジネスレビュー January 2011(情報敗戦 本当に「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」だったのか・杉之尾宜生)より引用いたしました。
インフォメーションとは情報という意味はよく知られていますがインテリジェンスについては一般的にはインフォメーションとの区別は分かり難いこともあって諜報というようなイメージから軍事用語のようにも捉えられています。
しかし、ビジネス・インテリジェンスという言葉もあるように情報に知識を加えて意思決定のための情報考察と言い換えることも出来るのではないでしょうか。
ノモンハン事件当時、ソ連のスターリンの戦略的見地からの情報要求というものに対して日本はトップの情報要求そのものがなく外交的な意味からも戦略観を欠いていましたがインフォメーションを分析処理してインテリジェンスに転換する情報考察自体がなかった、と言えるように思います。
インテリジェンスとは意思決定のための情報考察であり、収集された情報に対する参考知見でもあり、そこから洞察というものが生まれ、その情報考察による優れた洞察力を活用した人物としてW・チャーチルが挙げられます。
今日は以上です。