ノモンハン事件を情報分析、情報活動に続き外交情報という視点から当時1939年(昭和14年)4月下旬頃の日本政府と日本軍は外交情報をどのように捉えていたのか、についてビジネス誌に掲載された「失敗の本質」共同執筆者の一人で戦史研究家、杉之尾宜生(孝生)氏の情報敗戦 本当に欧州ノ天地ハ複雑怪奇だったのかを引用・紹介いたします。

以下、
ハーバード・ビジネスレビュー January 2011(情報敗戦 本当に「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」だったのか・杉之尾宜生)より

③外交情勢
独ソ関係見通しの誤算

昭和14年(1939)8月下旬、不倶戴天(ふぐたいてん)の敵同士と思われていた独ソ両国が不可侵条約を締結し、世界を驚愕させた。
特に、その年の一月以来、ソ連を対象とした同盟締結を独伊との間で交渉し、また5月以降、ノモンハンでソ連軍と対峙する日本にとっては大打撃であった。
この衝撃により、時の平沼内閣は「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」であると言い残し、総辞職した。

しかし、日本にとって、独ソ不可侵条約の締結は本当に寝耳に水の出来事だったのだろうか。
陸軍次官から陸軍各機関に送られた興味深い電文が綴じ込まれた陸軍省の『密大日記 昭和十四年』(防衛研究所戦史部所蔵)によれば、独ソ接近への兆候は、すでに4月下旬から数々の生情報(インフォメーション)が報告されていたという。

戦後、独伊同盟交渉、いわゆる防共協定強化問題について、当時の在外公館では4月頃から独ソが手を結ぶという情報分析がなされていたと、外務省関係者も証言している。
これらインフォメーションが実際に収集されていたのかどうかを史料で確認した結果、駐ドイツ大使館付海軍武官が日本に送った電報、イタリア大使の白鳥敏夫が送った電文を確認できる。

特に注目されるのは、白鳥大使の電文である。
4月20日、ベルリンのアドルフ・ヒトラー生誕50周年記念式典に招かれた白鳥は、宴席で外相ヨアヒム・フォン・リッペントロップから、独ソ提携について示唆され、ショックを受けている。

独ソ提携を示唆するインフォメーションがあったことはほぼ間違いない。
問題は、それを適切に分析し、情報(インテリジェンス)に転換して有効に活用したかどうかである。

事が起こった後ならば、人はその事態の生起を示唆するインフォメーションの存在に気づくのだが、事前にそれに気づき、それを信用し重視したかどうかは、まったく別次元の問題である。
そして、当時の外務省に関する限り、白鳥大使からのインフォメーションは重視されなかったようである。


上記は
ハーバード・ビジネスレビュー January 2011(情報敗戦 本当に「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」だったのか・杉之尾宜生)より引用いたしました。

1936(昭和11)年に結ばれた日独防共協定の強化(同盟)ということで1938年にドイツからもちかけられましたが日本の態度がなかなか決まらないことなどもあって独ソ接近情報は報告されていたようですが、情報を収集していても収集した情報を的確に分析処理することが出来なかったことが「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」と言わしめたのではないでしょうか。

情報の分析処理としてインフォメーションからインテリジェンスへの活用ということの重要性を考えさせられます。

今日は以上です。