1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃と、その勝利の報に接した日本国内の様子半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から引用・紹介いたします。

以下、
半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より

さて真珠湾攻撃のことは、くわしくお話しなくてもよろしいかと思います。
衆知のことですから。
日本の機動部隊から飛び立った飛行機353機の完全奇襲となり、敵の太平洋艦隊の戦艦群をほぼ全滅させる大戦果を上げました。

残念ながら、航空母艦だけは真珠湾にいなくて取り逃がしたのですが、とにかく世界戦史上冠(かん)たるといってもいいくらいの大勝利を得ました。

私はまだ子供でしたが、朝まだき「本日未明、西太平洋方面において戦闘状態に入れり」という放送があった時、この日は非常に寒かったのですが、東京の空はきれいに晴れ渡っていて、その澄んだ空のように、なにかこう頭の上を覆っていた雲がぱあーっと消えたような、晴れ晴れとした気持ちをもったことを覚えています。
日本人ほとんどがそう感じたと思います。

この日のことを後に多くの人が回想していますが、戦後に書かれたものはあてにならないところがあります。
なんとなしに「自分は戦争に反対であったが」と条件つきのようなかたちで報告していますが、当時に書かれたものを見ますと、たいていが万歳万歳の叫び声をあげています。
雄叫(おたけ)びといったらいいでしょう。

とくに小説家や評論家など、文学者が何をしゃべったかを『「真珠湾」の日にたくさん書いておきましたので、興味のある方はそちらを読んでいただくとして、ここでは5人ばかりご紹介しておきます。

まず評論家の中島健蔵(1903―79)は、「(これは)ヨーロッパ文化というものに対する一つの戦争だと思う」
同じく評論家の本多顕彰(1898―1978)は、「対米英宣戦が布告されて、からっとした気持ちです。‥‥聖戦という意味も、これではっきりしますし、戦争目的も簡単明瞭となり、新しい勇気も出て来たし、万事やりよくなりました」

小林秀雄(1902―83)も、戦争を肯定しています。
「大戦争がちょうどいい時にはじまってくれたという気持ちなのだ。戦争は思想のいろいろな無駄なものを一挙になくしてくれた。
無駄なものがいろいろあればこそ無駄な口をきかねばならなかった」

亀井勝一郎(1907―66)は、もっとはっきりと言っています。
「勝利は、日本民族にとって実に長いあいだの夢であったと思う。即(すなわ)ち嘗(かつ)てペルリによって武力的に開国を迫られた我が国の、これこそ最初にして最大の苛烈極まる返答であり、復讐だったのである。
維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙にして晴らすべきときが来たのである」

作家の横光利一(1898―1947)も、日記に躍動の文字をしたためています。
「戦いはついに始まった。そして大勝した。先祖を神だと信じた民族が勝ったのだ。
自分は不思議以上のものを感じた。出るものが出たのだ。それはもっとも自然なことだ。
自分がパリにいるとき、毎夜念じて伊勢の大廟(たいびょう)を拝したことが、ついに顕(あらわ)れてしまったのである」

この頃の横光さんは超ナショナリストになっていましたけれど、それにしても、わが日本は神国であり、先祖を神と思う民族が勝ったのだと大喜びしているのです。

とにかく国民は真珠湾攻撃の大勝利に一気に沸(わ)きました。
結果として山本五十六の腹の底にあった、真珠湾攻撃をもって敵を完膚(かんぷ)なきまでにたたき、それを機に講和へ持ち込もうという意図など一気に吹っ飛んじゃったわけです。
こんな時に講和なんてバカはどこにもいないというくらい、日本じゅうが沸きに沸いたのです。
有頂天になったのです。


上記は
半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。

対米英戦争の開戦と開戦劈頭の勝利に対し、日本中が興奮した中にあって評論家や小説家もその興奮の渦に巻き込まれたのかも知れませんがある意味でリー来航以来の外圧という感懐を抱いたとしても不思議ではないと思いますが、成り行き任せの戦争を始めたという危機感はもう少し先になってから、と言えるのかも知れません。

今日は以上です。