ノモンハン事件という1939年(昭和14年)5月に起こった国境紛争を通して当時のソ連軍と日本陸軍の間で行なわれた戦闘から戦略と情報について、ビジネス誌に掲載された「「失敗の本質」共同執筆者の一人で戦史研究家、杉之尾宜生(孝生)氏の「情報敗戦 本当に欧州ノ天地ハ複雑怪奇だったのか」を前回12月3日の続きで紹介・引用いたします。
以下、ハーバード・ビジネスレビュー January 2011(情報敗戦 本当に「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」だったのか・杉之尾宜生)より
当時、陸軍中枢の幕僚将校は独善的な偏見と予断をもって情報報告に接したため、担当者が望まない報告は一顧だにされないという悪弊が横行していた。
軍部も政府もスターリンの粛清を逃れて日本に亡命したリュシコフの供述や、土居が報告した貴重な生情報(インフォメーション)に対する関心が薄く、ソ連軍の大部隊が極東の辺地ノモンハンに移送された事実とその目的について、戦略的判断に資する情報要求そのものが存在していなかったのである。
陸軍の情報活動は局所的な要求にとどまり、矮小化された情報を基に独善的な予断をもってソ連の企図を判断しようとしていた。
これでは、ユーラシア大陸を広い視野から眺め、東アジアとヨーロッパの二方面からの脅威に対処するという問題意識を持つスターリンの大戦略を見抜けるわけがない。
日本が情報活動を軽視した例として、土居が大使館付武官時代にソ連国家政治局(GPU)の尾行に悩まされ、参謀本部に「ソ連の武官と同様な扱い」を要請したものの、「日本は文化国であり、野蛮国のソ連とは同じにはできない」という返事が届いたことが挙げられよう。
モスクワ陸軍武官室は仕方なく、情報収集用にベンツ製特殊六輪車を購入したが、その運転手として日本から派遣されたのは軍曹であった。
ソ連は情報収集に高級人材を多用していた。
ソ連の諜報・防諜の徹底と日本の情報軽視の格差を痛感させられる。
土居は帰国後のロシア班長、課長時代とハルビンでの関東軍情報部長時代に、シベリア鉄道沿線を視察しながら日ソ間を往復する軍将校による伝書使(クーリエ)を大幅に拡充した。
また、資料整備や情報分析についても改革を進め、特にスターリンの性格思想や戦略研究、スラブ人の民族性、ソ連の戦争観などのバックグランド情報の分析に力を入れた。
上記はハーバード・ビジネスレビュー January 2011(情報敗戦 本当に「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」だったのか・杉之尾宜生)より引用いたしました。
日本大使館付武官の陸軍大佐土居明夫がシベリア鉄道で帰国する途中に見たソ連軍の移動状況の報告を関東軍司令部や参謀本部は関心が薄く自分たちが望む情報にしか耳に入らなかったようで当時のソ連にとってヨーロッパにおけるドイツと東アジアにおける日本という脅威に対するスターリンの企図を見抜けなかったことが、この後の独ソ不可侵条約となることなど日本は思いもしなかったのでしょう。
戦略と情報とは何か、昨日の1月27日の内容と併せてみていただければと思います。
今日は以上です。
以下、ハーバード・ビジネスレビュー January 2011(情報敗戦 本当に「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」だったのか・杉之尾宜生)より
当時、陸軍中枢の幕僚将校は独善的な偏見と予断をもって情報報告に接したため、担当者が望まない報告は一顧だにされないという悪弊が横行していた。
軍部も政府もスターリンの粛清を逃れて日本に亡命したリュシコフの供述や、土居が報告した貴重な生情報(インフォメーション)に対する関心が薄く、ソ連軍の大部隊が極東の辺地ノモンハンに移送された事実とその目的について、戦略的判断に資する情報要求そのものが存在していなかったのである。
陸軍の情報活動は局所的な要求にとどまり、矮小化された情報を基に独善的な予断をもってソ連の企図を判断しようとしていた。
これでは、ユーラシア大陸を広い視野から眺め、東アジアとヨーロッパの二方面からの脅威に対処するという問題意識を持つスターリンの大戦略を見抜けるわけがない。
日本が情報活動を軽視した例として、土居が大使館付武官時代にソ連国家政治局(GPU)の尾行に悩まされ、参謀本部に「ソ連の武官と同様な扱い」を要請したものの、「日本は文化国であり、野蛮国のソ連とは同じにはできない」という返事が届いたことが挙げられよう。
モスクワ陸軍武官室は仕方なく、情報収集用にベンツ製特殊六輪車を購入したが、その運転手として日本から派遣されたのは軍曹であった。
ソ連は情報収集に高級人材を多用していた。
ソ連の諜報・防諜の徹底と日本の情報軽視の格差を痛感させられる。
土居は帰国後のロシア班長、課長時代とハルビンでの関東軍情報部長時代に、シベリア鉄道沿線を視察しながら日ソ間を往復する軍将校による伝書使(クーリエ)を大幅に拡充した。
また、資料整備や情報分析についても改革を進め、特にスターリンの性格思想や戦略研究、スラブ人の民族性、ソ連の戦争観などのバックグランド情報の分析に力を入れた。
上記はハーバード・ビジネスレビュー January 2011(情報敗戦 本当に「欧州ノ天地ハ複雑怪奇」だったのか・杉之尾宜生)より引用いたしました。
日本大使館付武官の陸軍大佐土居明夫がシベリア鉄道で帰国する途中に見たソ連軍の移動状況の報告を関東軍司令部や参謀本部は関心が薄く自分たちが望む情報にしか耳に入らなかったようで当時のソ連にとってヨーロッパにおけるドイツと東アジアにおける日本という脅威に対するスターリンの企図を見抜けなかったことが、この後の独ソ不可侵条約となることなど日本は思いもしなかったのでしょう。
戦略と情報とは何か、昨日の1月27日の内容と併せてみていただければと思います。
今日は以上です。