渋沢栄一を囲む勉強会としてスタートした竜門社における講演などの具体的な活動について11月20日続き島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」から紹介・引用いたします。

以下、島田昌和氏の社会企業家「渋沢栄一」より

この竜門社の会合でたびたび講演をおこなっていたのが、阪谷芳郎と堀越善重郎であった。
阪谷は渋沢の娘婿で大蔵官僚から大蔵大臣、東京市長を歴任した。
1897年から大蔵省主計局長、1901年から大蔵省総務長官兼主計局長、1903年から大蔵次官、1906~08年大蔵大臣と、大蔵省内で重要ポストを歴任していった。

これらの演説はまさにこの大蔵省内の重要ポストに就いているときの発言であり、若手少壮官僚の談話を直に聞くことができたのは会員にとっておおいに有益であったろう(『阪谷芳郎』)。

もう一人頻繁に講演に立っている人物として堀越善重郎があげられる。
1906年11月の秋季総集会では「貿易政策」と題して講演し、保護関税政策が日本に必要な時期に来ていることを欧米各国の経済政策を論じながら主張している(『竜門雑誌』第二二二号)。
1908(明治41)12月の月次会では「米国現時の経済状態及び其の将来」という題で講演し、アメリカが将来、太平洋方面、特に貿易面で中国に進出してくる可能性の高いこと、そのための備えをしなければならないことを主張している(『竜門雑誌』第二四七号)。

堀越善重郎は、1883(明治16)年に東京商法講習所を卒業し、米国メーゾン商会に入社、1886年に同日本支社を開設、1893年匿名組合堀越商会を創立している。
堀越商会は益田孝が堀越を渋沢に引き合わせ、渋沢と森村市左右衛門らが出資して絹織物等を直接に輸出する目的で設立された。

その後、扱う商品を綿布、その他雑貨などにも拡げ、出先での卸売業をも兼ねた。
ニューヨーク、シカゴ、ロンドン、シドニー、メルボルン、ブリスベンに支店または出張所を開設している(『竜門雑誌』第五七二号)。
1896(明治29)年に事業が苦境に陥ったときには渋沢が資金を融通して助けた。
八十島親徳の弟樹次郎が同商会の支配人を務めており、渋沢と密接な関係にあった貿易商である(『伝記資料』第一四巻)。

以上述べたように、一般的には渋沢の晩年の「論語と算盤」精神の普及活動のイメージが強い竜門社であるが、明治30年代にはきわめて広範なトップマネジメントやミドルマネジメント、さらにはその予備軍たる基幹社員の教育・啓蒙機関として機能していた。

しかも渋沢と資本や役職で関係のある会社だけでなく、さまざまな意味で渋沢に援助を受けた会社を広範に含んでいた。
また社会福祉施設や教育関係などの分野でも渋沢と関係のある組織の事務担当者も関係していた。
安達憲忠(東京市養育院幹事)、麻生正蔵(日本女子大学学監兼教授)、西田敬止(東京女学館主事)、蓮沼門三(修養団主幹)、丹羽清次郎(YMCA幹事)など、渋沢が関係した教育・社会福祉・修養・道徳関係の諸団体の主要人物であり、さらに大学教授・教員、医師、著述業、弁護士、代議士、役人・官僚など多種多様な職業の人も多数含まれていた。

上記は島田昌和氏の社会企業家「渋沢栄一」より引用いたしました。

渋沢が提唱するところの論語精神による道徳と経済の合一ということから社会事業の一環として竜門社が位置付けられていたのではないでしょうか。
経済活動と社会活動を繋いでいったのが竜門社というものであり、現在は「公益財団法人渋沢栄一記念財団」として活動を続けています。

今日は以上です。