「外知恵をカタチに」というテーマを設定していながら外知恵とは、ということについては私なりに外知恵とは“生活者目線の着想”であるとするものです。
そして、その生活者目線という問題意識による「ありたい社会」との対話から生まれるものであると同時に「人が持てる力を発揮出来る機会・場」でなければならないと思っています。
それでは外知恵というものを知として捉えた場合に集団的知性というかクラウド(群衆)の知恵としての集合知というものとの違いということを明確にしておく必要があるように感じています。
集合知やクラウド・ソーシングという言葉のイメージが先行した時代から既に実用的な言葉として使われているだけに改めて集合知やクラウド・ソーシングという言葉を今一度考えてみる必要があるような気がしています。
集合知とは何か、と改めて聞かれると私自身、答えに戸惑ってしまうことは否めません。
よく言われるのがインターネットで辞書といえばWikipediaが有名で集合知の事例として最も広く知られています。
簡単に言えば集団や群衆の知識は個人としての専門家に勝るということで、このことは何となく私にも分かりますが果たして集合知というものは個人にとって味方になりうるものなのか、という点で外知恵とは別なものであると考えています。
集合知と個人という捉え方は外知恵という生活者目線の着想そして生活者目線という問題意識による「ありたい社会」との対話から生まれるものであると同時に「人が持てる力を発揮出来る機会・場」と言うこととは矛盾するのではないだろうかと言うことです。
それはインターネットを通じた知の集積や伝播の力は、その主役が個人であるにもかかわらず、特定の個人はネット空間に埋没されてしまうことが懸念されるからです。
それでは集合知と個人のよりよい関係とはどのようなものなのでしょうか、次回も集合知について考えます。
今日は以上です。
そして、その生活者目線という問題意識による「ありたい社会」との対話から生まれるものであると同時に「人が持てる力を発揮出来る機会・場」でなければならないと思っています。
それでは外知恵というものを知として捉えた場合に集団的知性というかクラウド(群衆)の知恵としての集合知というものとの違いということを明確にしておく必要があるように感じています。
集合知やクラウド・ソーシングという言葉のイメージが先行した時代から既に実用的な言葉として使われているだけに改めて集合知やクラウド・ソーシングという言葉を今一度考えてみる必要があるような気がしています。
集合知とは何か、と改めて聞かれると私自身、答えに戸惑ってしまうことは否めません。
よく言われるのがインターネットで辞書といえばWikipediaが有名で集合知の事例として最も広く知られています。
簡単に言えば集団や群衆の知識は個人としての専門家に勝るということで、このことは何となく私にも分かりますが果たして集合知というものは個人にとって味方になりうるものなのか、という点で外知恵とは別なものであると考えています。
集合知と個人という捉え方は外知恵という生活者目線の着想そして生活者目線という問題意識による「ありたい社会」との対話から生まれるものであると同時に「人が持てる力を発揮出来る機会・場」と言うこととは矛盾するのではないだろうかと言うことです。
それはインターネットを通じた知の集積や伝播の力は、その主役が個人であるにもかかわらず、特定の個人はネット空間に埋没されてしまうことが懸念されるからです。
それでは集合知と個人のよりよい関係とはどのようなものなのでしょうか、次回も集合知について考えます。
今日は以上です。