レーダーの威力について、日本海軍は過小評価していたように思われますが、それだけに従来の艦隊決戦や夜襲・奇襲戦法を過信していたと言えるのではないでしょうか。

レーダーを利用したアメリカ海軍の戦闘情報システムに敗北したマリアナ沖海戦についてビジネス誌に掲載された「失敗の本質」共同執筆者の一人で戦史研究家、杉之尾宜生氏の「失敗の連鎖 なぜ帝国海軍は過ちをくりかえしたのか」を前回の6月18日続き紹介・引用いたします。

以下、ハーバード・ビジネスレビュー January 2012(失敗の連鎖 なぜ帝国海軍は過ちを繰り返したのか・杉之尾宜生)より

マリアナ沖海戦―奇襲戦術の失敗
昭和一八年(1943)後半から中部太平洋への侵攻を本格化したアメリカ軍に対し、日本はグァム、サイパン、テニアンの兵力を強化してパラオ近海で迎撃する計画を練っていた。

翌年六月一九日早朝、小沢冶三郎中将
麾下(きか)の第一機動艦隊は、サイパン島の西方沖にアメリカ機動部隊を発見した。
アメリカ軍の艦載機の攻撃範囲460キロメートルに対し、帝国海軍のそれは約740キロメートルであったことから、日本は敵の有効射程外から攻撃を仕掛ける艦対艦の二次元の砲撃戦において有効なアウト・レンジ戦法を、空母対空母・航空機対航空機という三次元戦力の戦闘に適用してしまった。

この時の対戦距離約550キロメートルは、足の長い日本の航空機にとって有利と作戦指導部は判断した。

7時30分、<零戦>はじめ第一次攻撃隊244機が発艦する。
アメリカ艦隊は、まだ日本艦隊を発見していなかった。
2時間後、アメリカ機動部隊の旗艦<レキシントン>のレーダーは、200キロメートル前方に日本攻撃隊の機影をとらえた。

<レキシントン>には、対空見張り用で敵機の水平方向を捕捉するレーダーと高度を捕捉するレーダー、対空火砲と連動する射撃用レーダーが装備されていた。
特筆すべきは、これらのレーダーが捕捉した敵の位置や動きのデータを総合的に処理して迎撃体制を取る、戦闘情報システムCIC(combat infomation center)を完備していたことである。

アメリカの完璧な迎撃体制の前に、日本軍機は次々と撃墜された。
さらに、この迎撃網を突破してアメリカ艦艇に迫った日本軍機を待ち受けていたのは、電波を利用して目標物に命中しなくても近傍で爆発する、VT信管を装着した砲弾であった。
日本軍機の損害は攻撃隊326機中230機、パイロット395人が戦死した。

早期発見、先制攻撃を旨とする大艦巨砲決戦をしかけてきた帝国海軍は、アメリカが開発した最先端兵器の前に、致命的な敗北を喫したのである。

上記はハーバード・ビジネスレビュー January 2012(失敗の連鎖 なぜ帝国海軍は過ちを繰り返したのか・杉之尾宜生)より引用いたしました。

この海戦の敗因はレーダーによるものだけではありませんが、アウト・レンジ戦法という戦い方をするには経験豊富な搭乗員によって可能になるものでしたが、この時は既に経験豊富な搭乗員がいなかったこともあると同時に開戦時に比べてアメリカの航空機の性能が向上しており零戦は旧式化していたことも影響していたようです。

レーダーなど科学技術の有効性ということよりも伝統の戦術に固執し、作戦計画が現状とかけ離れたものになってしまっていたのではないでしょうか。

今日は以上です。