渋沢栄一が企業家として、もっとも活発に活動した1900(明治33年)年代を、日々の行動パターンや移動手段また郵便・電信・電話などの活用状況を見てきましたが今回は渋沢が企業家として事業活動を行う上で協力し関与した人々を島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」から紹介・引用いたします。

以下、島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」より

渋沢は1907(明治40)年前後の企業家活動の最盛期には、約30社の取締役および社長を務めていた。
これら多数の会社の個々の会社の個々の経営責任を果たすために、当然、、渋沢は自らの代理を務める「周辺経営者」とも言うべき専務取締役や支配人といった経営者群をそれぞれの会社に置いていた。

ここでは渋沢とどのような関係を持つ人がどのような役割を担い、渋沢の多忙な企業家活動をサポートしたのかを紹介していこう。
そこで渋沢が役職を持って関わった49社(1893、1899、1902、1907の各年においてリストアップした)に関係するすべての役職者のリストを作成し、そこに名を連ねる経営者たちの関わり方を分析してみた。

49の会社において取締役や監査役などの役職者として延べ269名が関与している。
そのメンバーは4社以上に重複して関わった経営者が8名、3社が18名、2社が29名、1社が214名となっている。
渋沢が関与した会社の役員の80%は渋沢との関係はたった1社のみであり、渋沢が広範な人々と協力して会社の運営にあたったことがよくわかる。

渋沢の関与した49社は東京を中心にしているとはいえ、全国12府県に散らばっており、その業種も多岐にわたっているため、特定の経営者たちだけではない幅広さをもっていたと想像される。

渋沢の役職関与会社の中でたびたび登場する経営者を数の多い順に挙げると、浅野総一郎、大倉喜八郎(ともに11社)の二人がもっとも多く、ついで馬越恭平と益田克徳(ともに7社)、西園寺公成と植村澄三郎(6社)渋沢喜作(5社)梅浦精一と荘田平五郎(4社)、堀江助保や益田孝(3社)などとなる。
また、これらの経営者以外に、日下義雄・須藤時一郎といった、渋沢が頭取を務める第一銀行の役職者が複数の会社に関わるパターンも見られる。

サポートした経営者は、大きく二つのタイプに分けることができる。
出資のパートナーとして大口の出資をともなう経営者と、個々の会社の運営を実質的に担った専門経営者たちであった。

上記は島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」より引用いたしました。

渋沢が関わった会社の数と、その経営に関わった役職者の延べ人数などから幅広い経営者の協力を得ていたことが分かりますが、大口出資の経営者と実質的な専門経営者のサポートということで次回は出資パートナーを見ていくことといたします。

今日は以上です。