帝国海軍の軍事科学技術戦力において真珠湾攻撃時点ではアメリカやイギリスに劣らないものがありながら科学技術に対する認識と活用を疎かにしたケースとして「八木アンテナ」をビジネス誌に掲載された「失敗の本質」共同執筆者の一人で戦史研究家、杉之尾宜生氏の「失敗の連鎖 なぜ帝国海軍は過ちをくりかえしたのか」を前回5月28日に続き紹介・引用いたします。
以下、ハーバード・ビジネスレビュー January 2012(失敗の連鎖 なぜ帝国海軍は過ちを繰り返したのか・杉之尾宜生)より
当時、日本の大学の研究室や企業に在籍した科学者は、世界トップ・レベルの能力を備えていた。
この人的資源を戦争目的達成のために有効活用する組織づくりに問題があったという指摘については、陸海軍ともに同罪である。
例を挙げればきりがないが、ここでは「八木アンテナ」を取り上げ、科学技術に対する指導者層の見識と先見性の欠如が招いた海軍の研究開発分野の失敗を概観する。
大正13年(1924)、東北帝国大学工学部教授の八木秀次は電波の指向性通信を可能にするアンテナを発明した。
この画期的イノベーションにいち早く着目したイギリス、オランダ、アメリカは、大正15年(1926)に発表された論文“Projector of the Sharpest Beam Electric Waves”(八木と門下生宇田新太郎の共同研究)の成果を軍事利用して、レーダー、空港の盲目着陸、テレビの実用化などを進めていく。
イギリスとアメリカは、レーダー用アンテナの実戦配備に成功し、これを“Yagi Antena”と命名した。
特にイギリスは、昭和15年(1940)7~10月のバトル・オブ・ブリテンにおけるドイツ空軍による航空攻撃に対する防空邀撃(ようげき)システムの一貫として、イギリス本土に24ヵ所の早期警戒レーダー網を展開し、ドイツ空軍の封殺という目覚しい成果を上げている。
一方、本家本元の日本では、八木の研究成果である指向性アンテナの軍事的価値を理解しようとせず、八木の提言から16年後に、ようやく欧米諸国の動きに気づくのである。
昭和17年(1942)2月、シンガポールを陥落させた日本軍は、イギリス軍の陣地から押収した文書のなかに“SLC Theory”と書かれたノートと、鉄線と銅線を組み合わせてつくられた大きな檻のようなものを発見した。
SLCはsearch light control の略で、電波警報機ではないかと推察がついたがノートに散見される“Yagi Serial Array の意味がわからない。
「もしかしたら、これは電波探知機のアンテナではないか」
そこで、捕虜のなかからノートの保有者を探し出し、「Yagi とは何か」と尋問した。
捕虜は怪訝な表情で、「このアンテナを発明した日本の研究者だ」と答えた。
尋問に立ち会った技術将校は、自分たちが知らぬ間に、日本人の発明した技術が敵国で新兵器として実戦配備されていることに驚愕したという。
上記はハーバード・ビジネスレビュー January 2012(失敗の連鎖 なぜ帝国海軍は過ちを繰り返したのか・杉之尾宜生)より引用いたしました。
八木アンテナがイギリス軍に実戦配備されていたのに日本側は全く気付いていなかったことや、その軍事的活用について全く関心を示していないことは、軍上層部の科学技術に対する認識不足そのものですが、やはり過去の成功体験(日露戦争)からの自信過剰があるとともに、ここでも科学技術の戦略的運用ということが見落とされていたと言えるのではないでしょうか。
今日は以上です。
以下、ハーバード・ビジネスレビュー January 2012(失敗の連鎖 なぜ帝国海軍は過ちを繰り返したのか・杉之尾宜生)より
当時、日本の大学の研究室や企業に在籍した科学者は、世界トップ・レベルの能力を備えていた。
この人的資源を戦争目的達成のために有効活用する組織づくりに問題があったという指摘については、陸海軍ともに同罪である。
例を挙げればきりがないが、ここでは「八木アンテナ」を取り上げ、科学技術に対する指導者層の見識と先見性の欠如が招いた海軍の研究開発分野の失敗を概観する。
大正13年(1924)、東北帝国大学工学部教授の八木秀次は電波の指向性通信を可能にするアンテナを発明した。
この画期的イノベーションにいち早く着目したイギリス、オランダ、アメリカは、大正15年(1926)に発表された論文“Projector of the Sharpest Beam Electric Waves”(八木と門下生宇田新太郎の共同研究)の成果を軍事利用して、レーダー、空港の盲目着陸、テレビの実用化などを進めていく。
イギリスとアメリカは、レーダー用アンテナの実戦配備に成功し、これを“Yagi Antena”と命名した。
特にイギリスは、昭和15年(1940)7~10月のバトル・オブ・ブリテンにおけるドイツ空軍による航空攻撃に対する防空邀撃(ようげき)システムの一貫として、イギリス本土に24ヵ所の早期警戒レーダー網を展開し、ドイツ空軍の封殺という目覚しい成果を上げている。
一方、本家本元の日本では、八木の研究成果である指向性アンテナの軍事的価値を理解しようとせず、八木の提言から16年後に、ようやく欧米諸国の動きに気づくのである。
昭和17年(1942)2月、シンガポールを陥落させた日本軍は、イギリス軍の陣地から押収した文書のなかに“SLC Theory”と書かれたノートと、鉄線と銅線を組み合わせてつくられた大きな檻のようなものを発見した。
SLCはsearch light control の略で、電波警報機ではないかと推察がついたがノートに散見される“Yagi Serial Array の意味がわからない。
「もしかしたら、これは電波探知機のアンテナではないか」
そこで、捕虜のなかからノートの保有者を探し出し、「Yagi とは何か」と尋問した。
捕虜は怪訝な表情で、「このアンテナを発明した日本の研究者だ」と答えた。
尋問に立ち会った技術将校は、自分たちが知らぬ間に、日本人の発明した技術が敵国で新兵器として実戦配備されていることに驚愕したという。
上記はハーバード・ビジネスレビュー January 2012(失敗の連鎖 なぜ帝国海軍は過ちを繰り返したのか・杉之尾宜生)より引用いたしました。
八木アンテナがイギリス軍に実戦配備されていたのに日本側は全く気付いていなかったことや、その軍事的活用について全く関心を示していないことは、軍上層部の科学技術に対する認識不足そのものですが、やはり過去の成功体験(日露戦争)からの自信過剰があるとともに、ここでも科学技術の戦略的運用ということが見落とされていたと言えるのではないでしょうか。
今日は以上です。