渋沢栄一が兜町の事務所を企業家活動の拠点に会長・社長を務める会社の報告や相談をおこなったり関係する会社の役員会などで利用していましたが事務所と同じく第一(国立)銀行も拠点として活動していた様子を前回5月8日続いて島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」から紹介・引用いたします。

以下、島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」より

渋沢は一日に多数の人々とさまざまな用件のため分刻みのスケジュールで面談、会議をするのに、自分が相手先まで足を運ばなくとも済む用件は、渋沢が事務所に構えていて面談者や会議出席者が入れ替わる方法を採用したのであった。

もう一カ所、渋沢が行動の拠点にしていたのが第一国立銀行(1896年から第一銀行)であった。
兜町の渋沢の事務所と第一(国立)銀行本店はまさに目と鼻の先であり、渋沢の日記を見ると在京時にはほとんど毎日欠かさず第一(国立)銀行へ立ち寄っていることがわかる。

渋沢は通常、午前中に来客との面談を済ませ、昼前後に第一(国立)銀行へ立ち寄っている。
日記には「事務を見る」「行務を見る」「重役会を開き要件を議決す」「佐々木氏と面会す」(支配人の佐々木勇之助)といった記述があり、第一(国立)銀行の行務は特にきめ細かく見ていたことがうかがい知れる。
このことからもやはり第一(国立)銀行が渋沢の企業家活動の中心的存在であったことがはっきりとわかる。

もちろん渋沢が自らさまざま場所に出かけることも少なくなかった。
特に政治家や官庁関係に対しては自分から足を運んでいた。
さまざまな会社の重役会にも自分から相手先の本社に出かけていくことがよくあった。

それでは渋沢は交通手段として何を用いていたのだろうか。
渋沢の用いた移動手段は、近距離用として明治前半期には人力車を用い、その後専用の馬車を保有して日常の足として使用していた。
さらに一九〇七年頃からは自動車も利用しはじめた。

馬車といい自動車といい、この時期個人として専ら使用していたのは珍しく、導入の時期としてもきわめて早いものであった。
この点からも渋沢が直接の面談を重視し、多忙な生活の中でいかにして効率的に移動するかを考えていたことがわかる。

上記は島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」より引用いたしました。

渋沢栄一が企業家として事務所や第一(国立)銀行本店を拠点として活動していたことが上記の内容から、うかがえますが自動車も利用していたのですね、1907年頃と言えば明治四〇年ですが当時の自動車は珍しかったでしうが、それだけ多忙であったことを裏付けるものですね。

今日は以上です。