小島直記という伝記作家の見方を通して自伝というものを尾崎咢堂(尾崎行雄)の自伝「咢堂自伝」の新婚旅行のことを取り上げましたが、今回は成功者の自伝について小島直記氏の「伝記に学ぶ人間学」より前回5月4日続きで紹介・引用いたします。

以下、小島直記氏の「伝記に学ぶ人間学」より

尾崎三良というのは、伊藤博文門下の逸材で、選ばれて英国に留学していた秀才青年です。
そして、イギリスで英人宣教師の娘と恋をして、結婚して生まれたのがテオドラです。
しかも、三人も子供ができたのに親たちが離婚し、テオドラは英国に残って母方に養われていましたが、十七歳から十八歳のころに、父の尾崎三良を頼って、はるばる日本にやってきたというだけでも、なんとなくロマンチックであり、記述の材料は多いと言えると思います。

これに比べて、糟糠の妻繁子の実家田中家は長崎の出身で、勤皇運動に尽力したという父も母もすでに没し、独身のおばのもとに養われていたというだけで、格別の材料もないように見えますが、それだけに語るべきことがあればできるだけ多く語ってやり、できるだけ薄幸だった先妻に報いてやろう、という気持ちになるべきではないでしょうか。

その結婚のいきさつなどをある程度詳しく述べることは、その意味で、先妻を哀惜する気持ちの流露ということになろうし、またおのれの生涯を語るために意図した自伝の目的にも合致します。
新婚旅行のネグレクトがどういう理由に基づくのかはっきりしません。

私事は語らぬということならば、テオドラのことも省略すべきです。
後妻に遠慮したのではないかという疑問も一応もっともですが、この自伝を語ったのは、戦後のことであって、咢堂はすでに九十歳、いまさら女房のやきもちを苦にする年ではありません。

正規の妻の場合もそうですから、愛人のことになると、おそらく伝記そのものからは知ることは不可能だという気がします。

「しかし、その愛人のことを知って、初めてその人自身のことだけでなく、一つの歴史的事件の舞台裏、人間の苦心の場所がわかるという場合もある。
したがって、単なるのぞき趣味で、こう言うのではない」

と言って、また別の例を挙げていますが、これは別の機会に申し述べます。
より前回5月4日から前回5月4日
糟糠の妻のことをほとんど書いていないということがあるわけです。

それから、自分の成功のために非常に苦労した部下がいたはずです。
また、その事業が本当に成功しないときに、苦労のまま死んだ部下がいるだろうと思います。
私は、成功者の伝記で、そういう功績を悼んだ記事を見たことがありません。

それから、恩人について述べた記述があまりにも少なすぎます。
すべてその人自身の天才と努力の産物というのが、多くの成功者の自伝です。
したがって、裸になる難しさというのが自伝にはあるわけです。

上記は小島直記氏の「伝記に学ぶ人間学」より引用いたしました。

成功者の自伝ということについて、小島氏が最も言いたかったことは成功したのは全て自分の手腕によるものとして、苦労を共にした妻や部下と苦しい時に手を差し伸べてくれた恩人に対する記述が少なすぎるのではないのか、ということは自伝という伝記を通して、その人の「人間観を問う」と言うことになるのではないでしょうか。

今日は以上です。