今まで「土、いう感じ」というテーマで昭和の戦争を取り上げて来ましたが今回から内容は一緒ですが新たに「昭和の戦争」というテーマを設けて月曜日に書いていくことにしました。
月曜日に「昭和の戦争」を火曜日に「失敗の本質」と続けることで今までよりは少しはテーマ性につながりが出るようになればと思っています。

戦前日本が陥った間違いはどのような経緯があったのか、という歴史を振り返ってみることがテーマの主題です。

海軍の対米強硬派によって対米強硬路線が中央の意向とされていく中で国内の風潮を前回1月26日の続きで半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から紹介・引用いたします。

以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より

遠く広島湾の山本五十六連合艦隊司令長官が
「対米英戦争はもはや避けられないのであろうか。やむを得ん。いざとなったら真珠湾を攻撃しよう」と考え出したのはこの時でした。
言い換えれば「いざとなったら伝統の戦術などかなぐり捨てて、俺流の乾坤一擲(けんこんいってき)の戦法でいく」ということです。

戦争への道を突き進む海軍中央の動きを止める手段がまったくないとみた彼の苦悩の選択ではなかったかと思えないでもありません。

その頃国民は、生活状態も押し詰まってきて自由がきかず、心の中にはかなりの不満を抱いていました。
それをなんとか抑(おさ)えていられたのは、中国では勝てる戦争をやっている、そしてそれは正義の戦いであり、決して間違ったことをしているわけではない、という意識がマスコミなどによって叩き込まれていたからです。

ただ、泥沼の戦争がえんえん続き、しかも報道によればアメリカとイギリスが次々に蒋介石に援助物資を送っている、おまけにアメリカは日本に強硬な経済的圧迫をますます強めてきている。

ABCD包囲陣(Aがアメリカ、Bはブリティッシュ、Cはチャイナ、Dはダッチつまりオランダ)という言葉が、新聞紙上に躍(おど)りだし、そして「米英討つべし」の声も聞こえはじめている‥‥‥というので、なんとなしにもう一つドカーンとやればすべてが解決するような、次ぎの戦争を望むような、どちらかといえば好戦的な風潮が、国民の心のなかに生まれていたといってもいいと思います。

日本の明日を脅かす〝敵〟がすぐそこにいるのだ、それを叩かないことにはこの状態がいつまでもだらだらと続いてゆくというやりきれない思いが国民の心理を揺さぶっていたのではないでしょうか。

その年がちょうど、前に話しました「紀元二六〇〇年」にあたっていました。
東京でオリンピックや万国博覧会を開催する計画があり、そのために隅田川河口に勝どき橋がつくられました――この橋は真ん中から割れて万歳をするような形になるので勝どき橋と名付けられたと、私も子供のころは思っていたのですが、そうじゃなくて、昔からあそこには勝どきの渡しがあって、単にそれを名付けられたらしいのですが。

しかしヨーロッパでは大戦が行なわれ、アジアでは日中が戦争をしているといった世界情勢のため、オリンピックも万博も中止になりました。
けれども、国民のなかに鬱屈(うっくつ)した思いがありますから、紀元二六〇〇年のお祝いだけは盛大にして景気をつけようじゃないかということになり、十一月十日、宮城前広場で大式典が催されました。

上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。

ABCD包囲陣という言葉を新聞が使うことによって日本がこれ等の国から圧迫を受けているという意識がより強まっていったのではないでしょうか、国民の生活感というものが厳しくなる中でABCD包囲陣という言葉が受け入れられていったのかも知れません
因みに紀元二六〇〇年というのは神武天皇が即位した年を元年として昭和十五年が二六〇〇年にあたるということです。

今日は以上です。