1940年の9月15日、ドイツとイギリスの間で戦われたバトル・オブ・ブリテンにおいてドイツ空軍はついに制空権を奪えずイギリス空軍に敗北しますが日本はドイツの力を信じて三国同盟締結を決定します。
今日はこの辺りを半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から見ていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
九月十六日には、大本営政府連絡会議の決定を受けて、閣議で内閣一致で同盟締結を決定したことを、近衛首相が昭和天皇に報告しました。
天皇は近衛に言いました。
「この条約は非常に重要な条約で、このためアメリカは日本に対してすぐにも石油や鉄屑(てつくず)の輸出を停止してくるかもしれない。
そうなったら日本はどうなるか。
この後長年月にわたって大変な苦境と暗黒のうちにおかれるかもしれない。
その覚悟がお前にあるかどうか」
昭和天皇はかなり先を見通していたんですね。
そしてまたこう言いました。
「アメリカに対して、もう打つ手がないというなら致し方あるまい。
しかしながら、万一にもアメリカとことを構える場合には、海軍はどうだろうか。
海軍大学校の図上演習では、日米海戦は思わしい成績がでない、と聞いているが大丈夫なのか」
海軍大学校では図上演習規則に基づいてアメリカと戦う場合の演習を図上でやっているのですが、何十回やっても日本海軍は一遍(いっぺん)も勝ったことがなく、いつもこてんぱんにやられて日本艦隊は土佐沖まで追い詰められ、演習中止ということになっているんです。
そのことは内緒にしていたはずが、いつのまにか天皇の耳には入っていたようです。
ただ近衛は松岡外相から吹き込まれていますから、
「今後は日独伊ソ四国同盟になり、それは日米戦争防止に非常に役立つのですから大丈夫です、同盟を締結しないほうがかえって日米開戦の危険は大きいのです」
とかなんとか答えます。
黙って聞いていた天皇はまた言います。
「しかしながら、ドイツやイタリアのごとき国家と、このような緊密な同盟を結ばねばならぬことで、この国の前途はやはり心配である。
私の代はよろしいが、私の子孫の代が思いやられる。
本当に大丈夫なのか」
これに近衛さんは、伊藤博文の話を思い出して答えました。
「日露戦争開戦が御前会議で決まりました時、明治天皇は伊藤公を別室に呼び、『もし負けた時はどうするつもりか?』とたずねられました。
伊藤公は『万一にも敗れました場合には、臣は爵位勲等(しゃくいくんとう)すべてを拝辞(はいじ)し、単身にても赴(おもむ)いて討(う)ち死に致す覚悟でございます』と奏上(そうじょう)されました。
近衛もまた同じ覚悟でございます」
天皇はうなずいて言いました。
「日米戦争が起こり、万一のことがあった時には、近衛は私と憂(うれ)いをともにせよ。
三国同盟のこと、今日の場合はやむを得まいと思う」
『昭和天皇独白録』に、三国同盟に関しては賛成ではなかったと書かれているのはこういうことなのです。
そしてこの日、山本五十六はがっかりして東京を後にします。
去る前に及川海軍大臣に面会を求め、海軍中央としての将来の見通しを問い詰めました。
及川は答えます。
「あるいはドイツのために火中の栗を拾うの危険がないとはいえない、かもしれないが、アメリカはなかなか立つまいよ。
まあ、たいてい大丈夫だと思っている」
さらに伏見宮にも会いましたが、返ってきた答えは、
「こうなった以上は、やるところまでやるもやむを得まい」
山本の胸中には憮然(ぶぜん)とした思いだけが残ったようです。
「倒閣の責任を取りたくない」とか「陸軍とこれ以上角(つの)を突合せしたくない」とか「金が欲しい」とかいった情けない理由でこのような、国を亡国に導くような同盟を結ぶとはいったい何なのか、と。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
近衛首相をはじめ松岡外相そして陸・海軍大臣など政府や軍首脳は三国同盟を締結、またソ連を含めた四カ国の同盟関係に広げることで戦争の危機を回避できると考えていたのかも知れませんが、ドイツのヒトラーとソ連のスターリンを日本政府としてはどのように見ていたのでしょう。
独ソ不可侵条約に対する疑問や不審は何も感じていなかったのでしょうか。
今日は以上です。
今日はこの辺りを半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から見ていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
九月十六日には、大本営政府連絡会議の決定を受けて、閣議で内閣一致で同盟締結を決定したことを、近衛首相が昭和天皇に報告しました。
天皇は近衛に言いました。
「この条約は非常に重要な条約で、このためアメリカは日本に対してすぐにも石油や鉄屑(てつくず)の輸出を停止してくるかもしれない。
そうなったら日本はどうなるか。
この後長年月にわたって大変な苦境と暗黒のうちにおかれるかもしれない。
その覚悟がお前にあるかどうか」
昭和天皇はかなり先を見通していたんですね。
そしてまたこう言いました。
「アメリカに対して、もう打つ手がないというなら致し方あるまい。
しかしながら、万一にもアメリカとことを構える場合には、海軍はどうだろうか。
海軍大学校の図上演習では、日米海戦は思わしい成績がでない、と聞いているが大丈夫なのか」
海軍大学校では図上演習規則に基づいてアメリカと戦う場合の演習を図上でやっているのですが、何十回やっても日本海軍は一遍(いっぺん)も勝ったことがなく、いつもこてんぱんにやられて日本艦隊は土佐沖まで追い詰められ、演習中止ということになっているんです。
そのことは内緒にしていたはずが、いつのまにか天皇の耳には入っていたようです。
ただ近衛は松岡外相から吹き込まれていますから、
「今後は日独伊ソ四国同盟になり、それは日米戦争防止に非常に役立つのですから大丈夫です、同盟を締結しないほうがかえって日米開戦の危険は大きいのです」
とかなんとか答えます。
黙って聞いていた天皇はまた言います。
「しかしながら、ドイツやイタリアのごとき国家と、このような緊密な同盟を結ばねばならぬことで、この国の前途はやはり心配である。
私の代はよろしいが、私の子孫の代が思いやられる。
本当に大丈夫なのか」
これに近衛さんは、伊藤博文の話を思い出して答えました。
「日露戦争開戦が御前会議で決まりました時、明治天皇は伊藤公を別室に呼び、『もし負けた時はどうするつもりか?』とたずねられました。
伊藤公は『万一にも敗れました場合には、臣は爵位勲等(しゃくいくんとう)すべてを拝辞(はいじ)し、単身にても赴(おもむ)いて討(う)ち死に致す覚悟でございます』と奏上(そうじょう)されました。
近衛もまた同じ覚悟でございます」
天皇はうなずいて言いました。
「日米戦争が起こり、万一のことがあった時には、近衛は私と憂(うれ)いをともにせよ。
三国同盟のこと、今日の場合はやむを得まいと思う」
『昭和天皇独白録』に、三国同盟に関しては賛成ではなかったと書かれているのはこういうことなのです。
そしてこの日、山本五十六はがっかりして東京を後にします。
去る前に及川海軍大臣に面会を求め、海軍中央としての将来の見通しを問い詰めました。
及川は答えます。
「あるいはドイツのために火中の栗を拾うの危険がないとはいえない、かもしれないが、アメリカはなかなか立つまいよ。
まあ、たいてい大丈夫だと思っている」
さらに伏見宮にも会いましたが、返ってきた答えは、
「こうなった以上は、やるところまでやるもやむを得まい」
山本の胸中には憮然(ぶぜん)とした思いだけが残ったようです。
「倒閣の責任を取りたくない」とか「陸軍とこれ以上角(つの)を突合せしたくない」とか「金が欲しい」とかいった情けない理由でこのような、国を亡国に導くような同盟を結ぶとはいったい何なのか、と。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
近衛首相をはじめ松岡外相そして陸・海軍大臣など政府や軍首脳は三国同盟を締結、またソ連を含めた四カ国の同盟関係に広げることで戦争の危機を回避できると考えていたのかも知れませんが、ドイツのヒトラーとソ連のスターリンを日本政府としてはどのように見ていたのでしょう。
独ソ不可侵条約に対する疑問や不審は何も感じていなかったのでしょうか。
今日は以上です。