日本海軍内で三国同盟締結を決めた日、昭和十五年(1940年)九月十五日にヨーロッパではイギリスの猛反撃によりナチスドイツの攻勢転換点となっていきます。
イギリスは首相にウィンストン・チャーチルを立て、その就任演説が国民を奮い立たせます。
今回は、この部分を半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から見ていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
五月一日にドイツが西部戦線に怒涛(どとう)の進撃を開始して間もない五月十日、イギリスはウィンストン・チャーチルを首相に選出します。
そのチャーチルが十三日、下院で行なった就任演説は、二十世紀を代表する名演説となりました。
「私は、血と苦労と涙と、そして汗以外に、捧(ささ)げるべき何ひとつも持っていない。
‥‥‥諸君は、政策は何かと尋ねるられるであろう。
私は答える――海で、陸で、また空で、神がわれわれに与え給(たも)うたわれわれの全力をあげて戦うだけである。
‥‥‥われわれの目的は何かと尋ねられるであろう。
私はひとことで言うことができる――勝利。
それだけだ」
イギリスはこのチャーチル首相のもとに団結し、ものすごい抗戦をはじめました。
それが九月十五日の「バトル・オブ・ブリテン」と称される英本土防衛戦の最大の戦果につながるのです。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
今回はチャーチルの演説を感じてもらうためにごく一部の引用としました。
ナチスドイツによる英本土上陸作戦の制空権確保のためのドイツ空軍の攻撃に対してチャーチルの決意を汲み取っていただければと思います。
それにしてもヨーロッパの戦局や情勢に対して当時の日本政府や軍はドイツ強しと言うことだけしか目に入らなかったのでしょうか、都合のよいことだけを見聞きしていたのかも知れませんがチャーチルの演説ではありませんが明確な目的と目標の設定ということを考えさせられます。
もしチャーチルが現代の日本にいたなら、どんな演説をするのかと思わぬでもありません。
今日は以上です。
イギリスは首相にウィンストン・チャーチルを立て、その就任演説が国民を奮い立たせます。
今回は、この部分を半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から見ていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
五月一日にドイツが西部戦線に怒涛(どとう)の進撃を開始して間もない五月十日、イギリスはウィンストン・チャーチルを首相に選出します。
そのチャーチルが十三日、下院で行なった就任演説は、二十世紀を代表する名演説となりました。
「私は、血と苦労と涙と、そして汗以外に、捧(ささ)げるべき何ひとつも持っていない。
‥‥‥諸君は、政策は何かと尋ねるられるであろう。
私は答える――海で、陸で、また空で、神がわれわれに与え給(たも)うたわれわれの全力をあげて戦うだけである。
‥‥‥われわれの目的は何かと尋ねられるであろう。
私はひとことで言うことができる――勝利。
それだけだ」
イギリスはこのチャーチル首相のもとに団結し、ものすごい抗戦をはじめました。
それが九月十五日の「バトル・オブ・ブリテン」と称される英本土防衛戦の最大の戦果につながるのです。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
今回はチャーチルの演説を感じてもらうためにごく一部の引用としました。
ナチスドイツによる英本土上陸作戦の制空権確保のためのドイツ空軍の攻撃に対してチャーチルの決意を汲み取っていただければと思います。
それにしてもヨーロッパの戦局や情勢に対して当時の日本政府や軍はドイツ強しと言うことだけしか目に入らなかったのでしょうか、都合のよいことだけを見聞きしていたのかも知れませんがチャーチルの演説ではありませんが明確な目的と目標の設定ということを考えさせられます。
もしチャーチルが現代の日本にいたなら、どんな演説をするのかと思わぬでもありません。
今日は以上です。