農民の子である渋沢栄一が経済人としてのキャリアをどのように形成していったのか、ということを企業家として活躍するまでの段階で今一度、島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」から紹介・引用しておきたいと思います。
以下、島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」より
農民、商人、武士、官僚とさまざまな立場で身分制社会の幕末から明治維新の激動期を、よくぞ命を落とすことなく生き抜いたものである。
渋沢の青年期はどう評するべきなのだろうか。
新たな商品作物による新市場開拓によって村内における地位を一気に高めた家に生まれた。
その財力に基づく高い教養と広い行動範囲を得て、直接的な政治行動に挫折しても次を切り開くすべを持っていた。
保守的な武家出身者ではもち得ない能力を幕末の京都という特殊な政治空間において十二分に発揮することができ、旧弊に覆われた幕藩体制にはめ込まれてもすぐさまフランスへ脱出する機会を得た。
他の派遣メンバーと比してもそれまでの経験があったからこそ、ただ一人経済を中心とした近代社会の要素を次々と吸収していった。
帰国後もすぐさま新たな政治状況に取り込まれつつ、自らのはまり場所を自ら作り出しながら着地点を用意していった。
これまで紹介してきた活動からわかるように、挫折は主に政治思想やそれに基づく行動であろう。
反封建、反権力の行動に対して、たびたび挫折や時として日和見、転向とも言える行動選択を迫られている。
それに対して活路を見出したのは常に経済活動に関わる行動であった。
その才能が経済活動において他に比類なき才能を発揮し、自らも手ごたえややりがいを大いに感じた。
武士身分や官僚としてその能力を十二分に発揮できたのは経済実務担当としてであった。
ある種の経済合理性や計数感覚をベースとして、さらに信頼できる人間関係を築いてお互いを認め合う「人情」を加味して物事を進める行為を得意とした。
その一方で権威に立ち向かい、他者との駈け引きや感情のぶつかり合い、時として偶然性によって思わぬ方向へ進む権力闘争は肌が合わなかった。
それらが交互にあらわれ、不得意・不本意な政治行動を行動力あふれる経済活動で挽回して評価を高めていったキャリア形成期であった。
家庭環境、立地、チャンスなどに恵まれ、同時に従来通りの発想では対処し切れない数々の局面を的確な判断で乗り越えていった。
このように、さまざまな経験を通じて自らの能力を最も発揮できる場を見出していった人物が極めてまれなことは確かであろう。
上記は島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」から引用いたしました。
幕末期における農村経済で米作に頼らない藍玉の製造販売・流通を生家で体験することによって渋沢栄一の中で商品と貨幣の流通という経済観が養われていったことが幕末から明治六年に大蔵省を辞するまでの彼の強みであり、その強みを磨き更に活かすことは常に考えていたのではないでしょうか。
そして、その強みは実業界でこそ活かされていくことになります。
今日は以上です。
以下、島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」より
農民、商人、武士、官僚とさまざまな立場で身分制社会の幕末から明治維新の激動期を、よくぞ命を落とすことなく生き抜いたものである。
渋沢の青年期はどう評するべきなのだろうか。
新たな商品作物による新市場開拓によって村内における地位を一気に高めた家に生まれた。
その財力に基づく高い教養と広い行動範囲を得て、直接的な政治行動に挫折しても次を切り開くすべを持っていた。
保守的な武家出身者ではもち得ない能力を幕末の京都という特殊な政治空間において十二分に発揮することができ、旧弊に覆われた幕藩体制にはめ込まれてもすぐさまフランスへ脱出する機会を得た。
他の派遣メンバーと比してもそれまでの経験があったからこそ、ただ一人経済を中心とした近代社会の要素を次々と吸収していった。
帰国後もすぐさま新たな政治状況に取り込まれつつ、自らのはまり場所を自ら作り出しながら着地点を用意していった。
これまで紹介してきた活動からわかるように、挫折は主に政治思想やそれに基づく行動であろう。
反封建、反権力の行動に対して、たびたび挫折や時として日和見、転向とも言える行動選択を迫られている。
それに対して活路を見出したのは常に経済活動に関わる行動であった。
その才能が経済活動において他に比類なき才能を発揮し、自らも手ごたえややりがいを大いに感じた。
武士身分や官僚としてその能力を十二分に発揮できたのは経済実務担当としてであった。
ある種の経済合理性や計数感覚をベースとして、さらに信頼できる人間関係を築いてお互いを認め合う「人情」を加味して物事を進める行為を得意とした。
その一方で権威に立ち向かい、他者との駈け引きや感情のぶつかり合い、時として偶然性によって思わぬ方向へ進む権力闘争は肌が合わなかった。
それらが交互にあらわれ、不得意・不本意な政治行動を行動力あふれる経済活動で挽回して評価を高めていったキャリア形成期であった。
家庭環境、立地、チャンスなどに恵まれ、同時に従来通りの発想では対処し切れない数々の局面を的確な判断で乗り越えていった。
このように、さまざまな経験を通じて自らの能力を最も発揮できる場を見出していった人物が極めてまれなことは確かであろう。
上記は島田昌和氏の社会企業家の先駆者「渋沢栄一」から引用いたしました。
幕末期における農村経済で米作に頼らない藍玉の製造販売・流通を生家で体験することによって渋沢栄一の中で商品と貨幣の流通という経済観が養われていったことが幕末から明治六年に大蔵省を辞するまでの彼の強みであり、その強みを磨き更に活かすことは常に考えていたのではないでしょうか。
そして、その強みは実業界でこそ活かされていくことになります。
今日は以上です。