1939年9月1日にヒトラーのナチスドイツによるポーランド侵攻によって第二次世界大戦がはじまりました。
第二次世界大戦が1939年(昭和14年)ということですから日本はヨーロッパにおけるナチスドイツの影響を受けていくようになりますが、この辺りの様子を半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より見ていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
午前十時前、ヒトラーは国会で演説し、ラジオで全世界に流れました。
「ポーランドは昨夜わが国土を正規軍でもって攻撃してきた。
今朝五時四十五分からわれわれは反撃している。
爆弾に対しては爆弾をもって報(むく)いるまでである」
なんとポーランドから攻撃してきた、と獅子吼(ししく)して
「いまよりドイツの一兵士として戦うことのほか何も望んでいない」
を二度繰り返し、
「それゆえ私は、もっとも神聖で貴重なものである兵士の制服を身にまとった。
私は勝利の日までそれを脱(ぬ)がないであろう」
そばにいた空軍司令官ゲーリングが宣誓演説を行ないます。
「総統は命じたり。
われはただ服従、そして忠誠あるのみである」
こうして第二次世界大戦がはじまり、以下これがどうなるのか、永井荷風日記を読むことで次回につなげようと思います。
「九月初二(二日)。
‥‥‥この日新聞紙独波(ポーランド)両国開戦の記事掲(かか)ぐ。
ショーパン(ショパン)とシェンキイッツ(作家)の祖国に勝利の栄光あれかし」
ポーランドよ、勝ってくれというのですね。
「十月十八日。
‥‥‥夕刊の新聞紙英仏連合軍戦い利あらざる由(よし)を報ず。
憂愁禁(ゆうしゅうきん)ずべからず」
「十一月十日。
‥‥‥独軍和蘭陀(オランダ)国境を侵(おか)す」
ドイツの猛進撃が続いてポーランドはあっという間に降伏し、今度は北部戦線でオランダ領に進撃しました。
こうして第二次世界大戦の勃発で、それまでのあらゆることがぶっ飛んだのです。
日本は三国同盟も天津事件問題もふっ飛び、残ったのはアメリカからの日米通商航海条約廃棄の通告だけでした。
こうして昭和十五年、紀元二六〇〇年を迎えるわけです。
これからは話も少々、世界的になってゆくかと思います。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
ポーランドがドイツを攻撃したというのはナチスによる陰謀で実際はナチス親衛隊による国境近くの放送局占拠事件や言いがかりなどを口実としたもので独ソ不可侵条約の秘密協定によりソ連も9月17日にポーランドに侵攻しています。
ヨーロッパの戦雲急を受けて日本はどうしていたのか、を次回は見ていきます。
今日は以上です。
第二次世界大戦が1939年(昭和14年)ということですから日本はヨーロッパにおけるナチスドイツの影響を受けていくようになりますが、この辺りの様子を半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より見ていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
午前十時前、ヒトラーは国会で演説し、ラジオで全世界に流れました。
「ポーランドは昨夜わが国土を正規軍でもって攻撃してきた。
今朝五時四十五分からわれわれは反撃している。
爆弾に対しては爆弾をもって報(むく)いるまでである」
なんとポーランドから攻撃してきた、と獅子吼(ししく)して
「いまよりドイツの一兵士として戦うことのほか何も望んでいない」
を二度繰り返し、
「それゆえ私は、もっとも神聖で貴重なものである兵士の制服を身にまとった。
私は勝利の日までそれを脱(ぬ)がないであろう」
そばにいた空軍司令官ゲーリングが宣誓演説を行ないます。
「総統は命じたり。
われはただ服従、そして忠誠あるのみである」
こうして第二次世界大戦がはじまり、以下これがどうなるのか、永井荷風日記を読むことで次回につなげようと思います。
「九月初二(二日)。
‥‥‥この日新聞紙独波(ポーランド)両国開戦の記事掲(かか)ぐ。
ショーパン(ショパン)とシェンキイッツ(作家)の祖国に勝利の栄光あれかし」
ポーランドよ、勝ってくれというのですね。
「十月十八日。
‥‥‥夕刊の新聞紙英仏連合軍戦い利あらざる由(よし)を報ず。
憂愁禁(ゆうしゅうきん)ずべからず」
「十一月十日。
‥‥‥独軍和蘭陀(オランダ)国境を侵(おか)す」
ドイツの猛進撃が続いてポーランドはあっという間に降伏し、今度は北部戦線でオランダ領に進撃しました。
こうして第二次世界大戦の勃発で、それまでのあらゆることがぶっ飛んだのです。
日本は三国同盟も天津事件問題もふっ飛び、残ったのはアメリカからの日米通商航海条約廃棄の通告だけでした。
こうして昭和十五年、紀元二六〇〇年を迎えるわけです。
これからは話も少々、世界的になってゆくかと思います。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
ポーランドがドイツを攻撃したというのはナチスによる陰謀で実際はナチス親衛隊による国境近くの放送局占拠事件や言いがかりなどを口実としたもので独ソ不可侵条約の秘密協定によりソ連も9月17日にポーランドに侵攻しています。
ヨーロッパの戦雲急を受けて日本はどうしていたのか、を次回は見ていきます。
今日は以上です。