ヒトラーとスターリンによる独ソ不可侵条約の内容を今回は野田宣雄氏の「ヒトラーの時代(下)」より引用いたします。
以下、野田宣雄氏「ヒトラーの時代(下)」より
八月二十一日の晩おそく、ヒトラーは、待ちのぞんでいたスターリンからの回答をようやく手にする。
それは、きたる二十三日に独ソ不可侵条約に調印するために、ドイツ外相リッベントロップのモスクワ訪問をみとめるという趣旨のものだった。
二十三日昼、リッベントロップをのせた四発の大型輸送機がもモスクワの飛行場にすがたをあらわした。機は、ソヴェートの国旗とナチスの鉤十字旗とが仲よくならんではためくまえで、滑走をとめた。
ドイツ国歌とインターナショナルが、ドイツからの客を歓迎するために鳴りひびいた。
モスクワにおける独ソ交渉の仕上げは、まことに友好的な雰囲気のうちにすすめられた。
リッベントロップは、スターリンやモロトフといっしょにいるとき、「古くからの党の仲間のあいだにいる」ような気持になった。
スターリンはスターリンで、「ドイツ国民がいかに彼らの総統を愛しているかを、わたしはよく知っている」といって、すすんでヒトラーの健康のために乾杯した。
このような雰囲気のなかで成立をみた独ソ不可侵条約は、つぎのような内容のものであった。
(一)いずれの締約国も相手側を攻撃しない。
(二)もしも締約国の一方が第三国の「戦争行為の対象」になる場合には、他の締約国は、この第三国をいかなるかたちにおいても支持しない。
(三)締約国のいずれも、他方を直接・間接の対象とするようないかなる国際集団にも参加しない。
なお、この不可侵条約と同時に、秘密付属議定書の調印もおこなわれた。
それは、東ヨーロッパにおける独ソ両国の利益範囲を相互にとりきめたもので、とくにポーランドに関しては、つぎのように定められていた。
以下、野田宣雄氏「ヒトラーの時代(下)」より
八月二十一日の晩おそく、ヒトラーは、待ちのぞんでいたスターリンからの回答をようやく手にする。
それは、きたる二十三日に独ソ不可侵条約に調印するために、ドイツ外相リッベントロップのモスクワ訪問をみとめるという趣旨のものだった。
二十三日昼、リッベントロップをのせた四発の大型輸送機がもモスクワの飛行場にすがたをあらわした。機は、ソヴェートの国旗とナチスの鉤十字旗とが仲よくならんではためくまえで、滑走をとめた。
ドイツ国歌とインターナショナルが、ドイツからの客を歓迎するために鳴りひびいた。
モスクワにおける独ソ交渉の仕上げは、まことに友好的な雰囲気のうちにすすめられた。
リッベントロップは、スターリンやモロトフといっしょにいるとき、「古くからの党の仲間のあいだにいる」ような気持になった。
スターリンはスターリンで、「ドイツ国民がいかに彼らの総統を愛しているかを、わたしはよく知っている」といって、すすんでヒトラーの健康のために乾杯した。
このような雰囲気のなかで成立をみた独ソ不可侵条約は、つぎのような内容のものであった。
(一)いずれの締約国も相手側を攻撃しない。
(二)もしも締約国の一方が第三国の「戦争行為の対象」になる場合には、他の締約国は、この第三国をいかなるかたちにおいても支持しない。
(三)締約国のいずれも、他方を直接・間接の対象とするようないかなる国際集団にも参加しない。
なお、この不可侵条約と同時に、秘密付属議定書の調印もおこなわれた。
それは、東ヨーロッパにおける独ソ両国の利益範囲を相互にとりきめたもので、とくにポーランドに関しては、つぎのように定められていた。
「ポーランドに属する地域の領土的・政治的変更がおこなわれる場合には、ドイツとソヴェートの利益範囲は、ほぼナレフ、ヴィスワ、サン川の線によって境界づけられる」
第二次大戦がおわってのちも、ソヴェートは、長らくこの独ソ秘密議定書の存在をみとめることをこばんできた。
【中略】
ヒトラーは、右のようなスターリンとの事前のとりきめによって、きたるべきポーランド攻撃をソヴェートに対するなんらの気兼ねなしに実行できることとなった。
もはや、ドイツの侵略に対して西方諸国とソヴェートが提携することをおそれる必要はなくなったのだ。
上記は野田宣雄氏「ヒトラーの時代(下)」から引用いたしました。
この条約が結ばれたのが1938年8月23日ですが1941年6月22日のナチスドイツのソ連進攻までの間、お互い当面の国際情勢に対処する軍事的準備期間という目的で2年も保たない不可侵条約はそれぞれの利害と領土的野心をお互いに満足させるためヒトラーとスターリンという独裁者のエゴ丸出しの条約を日本はどのように受けとめたのでしょう。
次回は日本の動きを見ていきます。
今日は以上です。
第二次大戦がおわってのちも、ソヴェートは、長らくこの独ソ秘密議定書の存在をみとめることをこばんできた。
【中略】
ヒトラーは、右のようなスターリンとの事前のとりきめによって、きたるべきポーランド攻撃をソヴェートに対するなんらの気兼ねなしに実行できることとなった。
もはや、ドイツの侵略に対して西方諸国とソヴェートが提携することをおそれる必要はなくなったのだ。
上記は野田宣雄氏「ヒトラーの時代(下)」から引用いたしました。
この条約が結ばれたのが1938年8月23日ですが1941年6月22日のナチスドイツのソ連進攻までの間、お互い当面の国際情勢に対処する軍事的準備期間という目的で2年も保たない不可侵条約はそれぞれの利害と領土的野心をお互いに満足させるためヒトラーとスターリンという独裁者のエゴ丸出しの条約を日本はどのように受けとめたのでしょう。
次回は日本の動きを見ていきます。
今日は以上です。