天津事件などから日本の社会に戦時体制色が強まっていく中で海外ではヒトラーの誘いにスターリンが動き出しはじめました。
この辺りの様子を半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から見ていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
このように日本が外交的には三国同盟や天津事件でごたごたし、国民生活にも不自由な空気が漂ってきたという状態の時、ソ連の後に首相となるスターリンの出番がきました。
アイザック・ドイッチャーというソ連研究者の本によると、
「スターリンが遂にもはや〝眉をひそめ、すねる〟まいと決めた時間は、きわめて正確に言い当てることができる。
――それは八月十九日午後三時十五分ごろであった」
ノモンハンではまだ大激戦が続き、かなり追い詰められた日本軍、塹壕(ざんごう)を掘り冬に備えての防御対策に苦心している時、スターリンはさらに強力部隊を再編成し、日本軍総攻撃の命令を発します。
スターリンはその上でさらに、今がチャンスとばかり、ヒトラーのドイツと協定を結ぶという大決断をするのです。
すなわち八月十九日午後三時十五分。
前年、ヒトラーはチェコスロバキアに強引に進攻してきていました。
この政策を、ミュンヘン会談でイギリスのチェンバレン首相が認めたのは平和維持のための譲歩であったのですが、それに味をしめたヒトラーは「次はポーランドだ」と狙いをつけていました。
ところが非常な危険を感じていたポーランドは、すでにイギリス、フランスと同盟を結び、もし攻められることがあればドイツに宣戦布告をする約束を両国に取り付けていました。
ヒトラーは、ポーランドを得たければ英仏との戦争を覚悟しなければなりません。
そのときにソ連がどう出てくるか、もし英仏にくっつけば東西両面で戦うことになりますから、できればスターリンを自分の仲間に巻き込んで同盟を結び、東からソ連が攻めてくることのないように安心を得たうえでポーランドに攻めかかり、英仏との戦争に備えたかったのです。
それで盛んにスターリンに甘い誘いの手紙を送っていました。
しかし、なかなか色よい返事がソ連からはきませんでした。
ところがです。
歴史は大きく動き出しました。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
英仏の動きを観察していたヒトラーがスターリンに甘い誘いをかけスターリンがこれに乗ったということですが、英仏はヒトラーがソ連に接近するとは思っていなかったようですしナチスドイツの勢いに幻惑されていた日本はヒトラーとスターリンが手を結ぶとは思ってもいなかったでしょうね。
次回は独ソ不可侵条約を中心に見ていきます。
今日は以上です。
この辺りの様子を半藤一利氏の「昭和史1926―1945」から見ていきます。
以下、半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
このように日本が外交的には三国同盟や天津事件でごたごたし、国民生活にも不自由な空気が漂ってきたという状態の時、ソ連の後に首相となるスターリンの出番がきました。
アイザック・ドイッチャーというソ連研究者の本によると、
「スターリンが遂にもはや〝眉をひそめ、すねる〟まいと決めた時間は、きわめて正確に言い当てることができる。
――それは八月十九日午後三時十五分ごろであった」
ノモンハンではまだ大激戦が続き、かなり追い詰められた日本軍、塹壕(ざんごう)を掘り冬に備えての防御対策に苦心している時、スターリンはさらに強力部隊を再編成し、日本軍総攻撃の命令を発します。
スターリンはその上でさらに、今がチャンスとばかり、ヒトラーのドイツと協定を結ぶという大決断をするのです。
すなわち八月十九日午後三時十五分。
前年、ヒトラーはチェコスロバキアに強引に進攻してきていました。
この政策を、ミュンヘン会談でイギリスのチェンバレン首相が認めたのは平和維持のための譲歩であったのですが、それに味をしめたヒトラーは「次はポーランドだ」と狙いをつけていました。
ところが非常な危険を感じていたポーランドは、すでにイギリス、フランスと同盟を結び、もし攻められることがあればドイツに宣戦布告をする約束を両国に取り付けていました。
ヒトラーは、ポーランドを得たければ英仏との戦争を覚悟しなければなりません。
そのときにソ連がどう出てくるか、もし英仏にくっつけば東西両面で戦うことになりますから、できればスターリンを自分の仲間に巻き込んで同盟を結び、東からソ連が攻めてくることのないように安心を得たうえでポーランドに攻めかかり、英仏との戦争に備えたかったのです。
それで盛んにスターリンに甘い誘いの手紙を送っていました。
しかし、なかなか色よい返事がソ連からはきませんでした。
ところがです。
歴史は大きく動き出しました。
上記は半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より引用いたしました。
英仏の動きを観察していたヒトラーがスターリンに甘い誘いをかけスターリンがこれに乗ったということですが、英仏はヒトラーがソ連に接近するとは思っていなかったようですしナチスドイツの勢いに幻惑されていた日本はヒトラーとスターリンが手を結ぶとは思ってもいなかったでしょうね。
次回は独ソ不可侵条約を中心に見ていきます。
今日は以上です。