二・二六事件における青年将校の思想的な一致の有無について葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」から前回6月17日の続きで見ていきます。

以下、葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より

二・二六は帝都の現役兵力を動員して蹶起したので、その破壊的威力は強大であり、その結果は当然に政局の転回が予想された。
ところが二月事件の同志間には、破壊の一線においてはかなりに精確な意思の一致があったけれども、建設の構想については、事前に十分の意思の一致がなかった。
この弱みは、二・二六において奉勅命令の問題がおこったとき、もっとも明瞭な姿で露呈された。
これを見て、二・二六の青年将校には、建設的な政治思想がなかったという世評があるが、それは当たらない。
各人にはそれぞれの思想があるが、その間に「一致」がなかったのである。
この点は大切だと思われるので、多少具体的に見ていきたいと思う。

「救国運動」(昭和三十八年三月十五日号)で、中村武彦氏は「二・二六事件の反省と日本的クーデター」という一文を書いている。
かれは尊王を叫んで立ち上がった青年将校が、「奉勅命令」によって鎮圧されねばならなかった原因を論じて、青年将校とその思想的指導者と目されている北一輝の間には、思想的性格に異質のものがあったことを指摘している。

青年将校と北イデオロギーは、それほど密着不可分のものではなく、むしろ民意強行と大流血を教える筈の北イデオロギーを実行しなかったところに二・二六の日本的風格とともに、その失敗に終わる一因が認められるのである。
と断定しているのは、二・二六の思想分析において大切な一点であると思う。

遺書や裁判資料では「奉勅命令」が正式に蹶起部隊に下達されたか否かという点に、非常な重みがおかれている。
それは法廷の刑法論としては、重大な意味をもっているが、思想的にはほんとうの問題はそれよりも一歩さきにある。
奉勅命令が正式に下達されたとすれば、どうするのか。
それが問題なのである。

上記は葦津珍彦氏の「武士道(戦闘者の精神)」より引用いたしました。

二・二六事件の青年将校が軍官僚によって下達された「奉勅命令」によって鎮圧されたことは北イデオロギーとの矛盾点から思想面の差異について日本的クーデターという捉え方をしているように感じます。
次回も青年将校の考え方を見ていきます。

今日は以上です。